いまさっき思ったこと

あとで読み返したときになにかが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど、それはそれでいい

けっきょくのところ「運営と制作の一致」を実現する組織の構築は可能なんだろうか

東さんがツイッターで「社長やめる、会社やめる」と泣き言を書かれてるのを見て、ふだんならスルーしていたんだけど、今回はなんかすごく真に迫るものがあり、気になって「ゲンロンβ32」を読んだ。 

ゲンロンβ32

ゲンロンβ32

  • 作者: 東浩紀,沼野恭子,土居伸彰,吉田寛,吉田雅史
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2018/12/28
  • メディア: Kindle版
  • この商品を含むブログを見る
 

ざっくりまとめるとこんな感じ。

  • 「運営(プラットフォーム)の思想」と「制作(コンテンツ/クリエイター)の思想」は常に対立する
  • そして「運営の思想」が圧倒的に優位である
  • なぜならプラットフォームは少数だが、コンテンツは代替可能だから
  • しかし「運営の思想」の世界では大衆が求めるものばかりで埋め尽くされ、コンテンツの多様性は失われる
  • だからといって「制作の思想」を優先してもけっきょくは別のプラットフォームへの依存度が増すだけで自滅する
  • よってゲンロンでは「運営と制作の一致」を目指すことを試みている
  • それは単純に経営者と制作者が同じであるという構図の話だけでなく、「運営の思想」の原則である「等価交換」を意図的に否定する(文中では「失敗させる」とある)ことで実現する
  • ゲンロンは商品の中に常に余剰を忍び込ませ、等価以上の「なにか」を提供するし、それを可能にするには運営と制作の思想が一致しないと無理
  • ところで、雇用も含め、現代は流動性が善とされている
  • 労働力が代替可能な商品として経営者と労働者の間で等価交換されていることを示しており、それを労働者自身が受け入れている
  • ゲンロンは社外に対しては等価交換「以上」のものを提供する一方で、社内においては等価交換の論理で支配されていた
  • その差分が経営者個人の負担となっていた(よって壊れた)
  • 文化(哲学や芸術)は等価交換の外部にあり、これを可能にするのは「運営と制作の一致」しかないがめっちゃむずかしい
  • 数カ月後にまた社長に戻ってがんばる

もうちょい詳しく書くと

ちなみにぼくは東さんの文章をはじめてちゃんと読んだので、誤解・誤読もあるかもしれない。
そもそも難解な言い回しが多く、ぼくにはむずかしすぎた。それでもたぶん言いたいことは伝わったような気がするし、自分なりになんか書いておきたくなったのでつらつらと書いてみた。自分でも忘れがちだけど、いちおうぼくも中小企業の社長なんだよな。

まず前提について、ざっとかいつまんで書くとこんな感じ。

  • 世の多くの文化的問題は「運営の思想」と「制作の思想」の対立から生まれる
  • 「運営の思想」とはプラットフォームが優位とする立場で、「制作の思想」は逆に個々のコンテンツを生み出すクリエイターが優位とする立場のこと
  • ネットにかぎらず世の中は「運営の思想」が圧倒的に優位である
  • なぜならプラットフォームは寡占状態にあるが、コンテンツやクリエイターは無数にあるため代替可能だから

ネットではながらく「Content is King」なんていわれていたけど、実質はGoogleなどの検索エンジンだったり、Facebookやツイッター等のSNSに支配されてます。
どんなに素晴らしいコンテンツでもグーグル八分にされればほとんどの人の目に触れることはないわけで、プラットフォームのほうが優位であるのはそりゃそうだよなあって感じだし、どれだけユーチューバーが儲かってるといってもYouTubeはそれ以上に儲かってるわけで、この「元締めや胴元が勝者である」という構図もとくに目新しいことではない。

だけど「文化」や「芸術」が「運営の思想」から生まれるかというとなかなかむずかしい。
直近の話でいえば、先日あるユーチューバーが事故死した直後に大量の追悼(?)動画がアップされていた。おそらく注目度マックスなのでたくさん見られるんでしょう。そしてより儲かるようにYouTubeはその動画をプッシュするわけで(ランキングとはそういうアルゴリズムだから)、コンテンツの多様性は消え、地獄のようなスパイラルが起こる。

こういう現実を懸念して「芸術や作家性を守るためにプラットフォームから独立して……」といった話が何度も起きては何度も失敗するんだけど、それはけっきょくパトロンシステムでしか成立しないモデルを構築しているからだと。

 運営の思想の優越を批判する人々の多くは、運営の思想が入りこまない、制作の思想優先の場を確保することが問題解決の方法だと信じている。具体的には、大学の文学部や人文系出版社が、そのような「外部」として想定されている。けれども、その戦略は有効に機能しない。なぜなら、ぼくたちは結局、運営の思想すなわち資本主義の外部に出ることができないからである。運営の思想の外部を作る試みは、現実には「運営の思想の外部を守ってくれる運営者」に依存することしか意味しない。教員のユートピアは大学が経営方針を変えたら終わりだし、編集者のユートピアは出版社が経営方針を変えたら終わりである。金勘定をしないクリエイターは、かならず金勘定をする運営の奴隷となる。文芸誌の出版は、ヘイト本の売り上げに依存していると聞く。若手演劇の世界では、助成金の申請に強いスタッフが重宝されているらしい。現代の「文化」は、おそろしく脆弱な基盤のうえで維持されている。

東 浩紀; 沼野 恭子; 土居 伸彰; 吉田 寛; 吉田 雅史. ゲンロンβ32 (Kindle の位置No.120-128). 株式会社ゲンロン. Kindle 版.

ここはぼくにも理解できたし、いちばん納得した。この部分をちゃんと引用するために主従のバランスをそれっぽく見せるためにほかの駄文を書き綴ってるといっても差し支えないくらい。
「運営の思想」=資本主義と定義しちゃっていいのかわかんないけど、「文化」で「食う」ためには「運営の思想」を受け入れて、かつ代替可能ではない存在になるしかない。
(ちょっと最愛戦略的な話に近いので共感したというのもあると思う)

それは言い換えれば等価交換を拒否して、それ以上のものを提供することだと。まあこのへんは「満足というのは相手の期待値以上のものを届けて……」みたいな話だし、ゲンロンの商品を今回はじめて買ったぼくがあれこれ語れるわけもない。
でも多くのファンがいて、友の会と称する定期購読者(になるのかな)がたくさんいることを踏まえれば、これまでに東さんたちがやってきた等価交換を意図的に失敗させて、常に相手の期待をいい意味で裏切ってきた施策はうまくいってきたんだと思う。

で、そうしたいわば「オマケつき」商品を「会社」として提供しつづけるにはけっこうしんどいぞというのが会社崩壊の理由らしい。
ここから先はわかるところもあったし、わかんないところもあった。それは共感できる/できないという「わかる」ではなく、単純に理解できるかどうかという意味で。

「給料分働く」というのは等価交換といえる。だけど常にオマケを提供しようとするなら、それは利益を減らすか、会社が拘束する勤務時間以外も従業員はアイデアを考えるか、何らかの手段でバランスをとるしかない。だけどブラックは許容されない。
これほんとむずかしいよね。「経営者目線を持て」とかアホかって思うけど、「給料分働く」もシビアに考えれば一定割合の社員は達成できてないわけで。
ぼくの新入社員時代なんてたぶんAIかなんかで貢献度を数値化したら給料はマイナスになってたかもしれない。

後半はこの等価交換の話になっちゃってて、前半の「運営の思想」と「制作の思想」の話があやふやになってるんだけど、これをもっかい持ってくるならば、たぶん企業の数がプラットフォームとしては多すぎるので、優位性が働かなくなってるわけだよね。
よって「制作」側に位置する従業員のほうが、「運営」側に位置する雇用主よりも優位になってると。

相互に代替可能な雇用主と従業員を前提にすると、会社という組織が「運営と制作の一致」を目指すこと自体が不可能なのかもしれないし、給与等の待遇だけで解決できるとも思えない(ゲンロンの労働環境は悪くないらしい)。
代替不可能な存在になる、というのは簡単なことではないし、それこそ「宗教かよ」って揶揄されちゃうけど、宗教的な企業は入社時のカルチャーフィットのチェックさえまちがえなければ離職率が低いことも事実だよね。

たぶん文化(哲学や芸術)は等価交換の外部にある以上、それを生み出す組織も既存の労働観の外部に置かないと無理だっていいたいんだけど、そしたら速攻「ブラックだ」と叩かれちゃうのでぼやかしたのかな。
(でもそういう組織を目指していくという気概みたいなのは感じた)

ということで後半はよくわかんなかったけど、前半の「文化」で「食う」ための方法論みたいな話は自分がやってることにも近いのでけっこう納得して読めました。
寝る前の15分くらいで読んだけど、ふつうにおもしろかったです。

 

追記)

  1. あくまでもぼくの残念な読解力に基づく自分語りなので、東さんがどう考えてるかはわかんないし、とりあえず気になった人は500円だから買って読めばいいと思う。
  2. 書いてる途中で「ほぼ日」のことが浮かんだけど、最近ウォッチしてないのであえて書いてません。
  3. 「運営と制作の一致」を目指してプラットフォームをつくろうとする動きはサッカー解説者の中西哲生さんたちがやってる「0014 catorce」が近いんじゃないかなと思った。

オウンドメディアをゴミにしないために

ぼくの基本的なスタンスは「オンライン上に公開された情報は、少なすぎるよりは多すぎるほうがいい。ないものはそもそも検索できないから」というものですが、とはいえここ10年くらいの爆発的に増えていくオンライン上の情報量を見ながら「もうこれ以上、ゴミの投棄はやめたほうがいいのではないか」とも思うようになりました。
それもあって長く書いてたブログも閉鎖したくらいです。

最近では「レシピを検索したいならクックパッドを検索からはずす」とか、検索する際に(とくにCGM系の)商業サイトを対象外にするような声も出てきていますが、「多すぎるほうがいい」の結果がいまのような汚染状態を生んでしまったとしたら、残念でなりません。いやほんと人類全体の自業自得って感じで環境問題と変わらない話だと思います。

オウンドメディアもゴミなのか

ここ数年、コンテンツマーケティングの名のもとに(というかSEOの具体的施策として)オウンドメディアの運営に取り組む企業が増えています。
ぼくも立ち上げにかかわったものがたくさんありますし、つい先日はある企業のオウンドメディアにインタビュー記事を載せてもらったばかりですが、このオウンドメディアが「企業が金かけてゴミを量産してる」ことになっていないかは考えたほうがいいと思います。個人のブログならともかく、企業が「とりあえず量」とゴミを排出しつづけるのは大きな問題だと思うのです。

ぼくは個人ブログであろうと企業のオウンドメディアであろうと同人誌みたいなものだと捉えています。それは商業メディアでは扱いにくいニッチなテーマを深く掘ったり、取り上げたりする点で共通しているからです。
同人誌の世界には「需要があるからつくるんじゃない、供給がないからつくるんだ」なんて素敵な言葉もあるそうですが、この「供給がない」というのは広告ビジネスで考えたときに市場が小さすぎるという意味でもありますよね。

だから収益性を無視できる個人ブログだったり、収益源をほかに求められる企業のオウンドメディアが「オンライン上にはこれまで供給がなかった」情報を出していくことはとても素晴らしいことだと思います。
(逆にいうと商業メディアでも読めるような情報や、劣化コピーのような情報しか出せないオウンドメディアならちょっと残念です)

一方で、最近気になるのは多くのオウンドメディアの読みづらさです。
誤字脱字が多い、指示代名詞(これとかそれ)が多すぎる、主語述語の関係性がわかりにくい、などはもう少しなんとかできると思うんですよね。「漢字のひらき」にかんしては複数人で執筆する場合はなかなか統一するのがむずかしいと思いますが、それでもある程度のルールはつくれるでしょうし。

あと企画が甘いというか、構成に芯が通ってない記事もあります。ようは編集が雑ということなのですが、せっかくお金をかけてオウンドメディアをやるのであれば記事を増やすための予算の一部を、記事を読みやすくするために使えばいいのにと思います。
編プロはじめ紙の出版業界は厳しいといわれていますが、そういうところにじつはニーズがあって、まさに「供給がないからつくる」というサービスが出てきたらおもしろいのにな。

技術で課題を解決するのもマーケターの仕事だと思う

阿部さんの会社、アナグラムがやってるオウンドメディア「Marketeer(マーケティア)」でインタビューしていただきました。

ノープランなインタビューだったのでどうなることかと思ったのですが、そのおかげで過去になく技術的なアプローチについての話になりました。
「最愛戦略」などの講演をしていると、ついつい「人間性を前面に出してマンパワーでブランド力向上!」みたいな受け取られ方をすることがあるのですが、そういう理想論っぽい話は心意気としては重要である一方で、スタッフのコミュニケーション力頼みになるのは危険です。人は疲弊しますからね。

だから「現実的な理想論*1」としてはスタッフに依存しすぎない範囲でやることが大事だし、スタッフの負担を軽減するためにも技術の活用は大事だと思っています。

技術で解決できることはないのかをまず考える

ぼくは自分のことをエンジニアとしてはへっぽこだと思ってるし、お金をもらってプログラムを書くことはいまはこわくてやってません。昔は単純な案件は受託開発してたんですけどね。
ただデータを集計したり、APIを叩いてごにょごにょするみたいなことは自分が所属した企業やコンサル案件でもやってきたし、自分の会社では唯一のエンジニアとして日々プログラムを書いています。日々といいつつ毎日ではないけれど。

いろいろやってきて断言できるのは、「愛用されるシステム(機能)を構築することができたら、コンテンツを更新し続けるよりもコスパがいい」ということです。
それこそAmazonのワンクリックなんてマーケティング的にもすばらしい特許ですしね。

だからまず考えるべきは「超強力無人君の開発」であって、次善策として「人力でがんばる」があることを忘れてはいけません。
(いうまでもなく技術のみで解決されることはほとんどなくて、裏側ではたくさんのスタッフが支えていることも付記しておきます)

「技術で解決」というとエンジニアの仕事みたいに思われるかもしれないんだけど、「こういうことできないかな?」と考えることはマーケターの仕事だとぼくは思います。「どう解決するか」の具体的な方法論はエンジニアの方々に頼らざるを得ないにせよ。

「ソーシャルメディアの使い方」みたいなのもいいんですけど、たとえばアクティブサポートのようなマンパワーに依存する施策を考える際に、APIを活用したりして技術的にどうやって現場の負担を軽減できるか、お客さんにより満足していただけるかということはあわせて考えたいものですね。

ちょっとだけ宣伝

「最愛戦略」について講演をはじめたのは2011年のことでした。
先日のセミナーでも話したのですが、あれから7年経過して、SNSが普及したり、サブスクリプションモデルが増えてきたことによって、最愛戦略の旬はむしろいまだと感じています。
いまは積極的にコンサルティングの仕事を請けてるわけではありませんが、ご相談があれば対応していますのでお気軽にお問い合わせください。最愛に向けてなにができるかをいっしょに考えましょう。

個人的にはお城のある地方の企業からの相談があるとうれしいです。

*1:この「現実的な理想論」ってぼくは気に入ってる言葉なんだけど、ぜんぜん浸透しなかったなあ。

もしもバイクがもらえる教習所があったら

いまいちばん調子に乗ってる高齢者というと梅沢富美男かひふみん(加藤一二三)だと思いますが、そのひふみんが会長役で出演しているドコモのCM【「らくらくスマホデビュー」篇】を見ていると、その最後に「スマホ教室実施中!(参加費無料)」とあったんですね。

そりゃドコモはスマホを使い倒してもらってお金を巻き上げたいんだから参加費無料で当然だろうと思うわけですが、こうした啓蒙活動の皮をかぶったマーケティングはドコモのような大企業がおこなうケースもあれば、たとえば釣具屋が釣り教室を開催するみたいな感じで小売店が独自の経営努力としてやってたりします。

で、思ったんですよね。
たとえばどんどん縮小しているといわれてるバイク市場ですが、あれメーカーやショップが(すでに免許を取得している人しか参加できない)ツーリングを開催するんじゃなくて、その手前、ようするに(まだ免許を取得していない人向けに)教習所を自分たちでやったらいいんじゃないのかなって。
100%じゃなくてもいいので、どこかと提携して半額をメーカーが負担することを条件に冠つけた独自プランをつくってもらうとか、あるいはそのメーカーのバイクを新車で買うことを条件に教習所の費用を全額負担するとか。

ぼくは大学に入ってすぐに中型二輪の免許を取ったんですが、教習車がホンダのCB400 SUPER FOURでした。慣れてるのもあって(というかそれしか乗ったことないわけだから当然だけど)そのまま乗りたかった記憶があります。高くて買えなかったけど。
だったら卒業したらSUPER FOURがもらえるような教習所をつくったらいいと思うんだよね。教習車を提供するマーケティングはいまもやってると思うんですが、もう一歩踏み込んでみたら少しは状況も変わるかもしれない。なんらか規制があったりするのかな。

とか思って検索したら「トヨタドライビングスクール」というのがあった。やっぱり同じようなことを考える人はいるよね。

ただ教習車にプリウスを使ってたりするものの、購入を条件に教習費用を割引(あるいは無償化)とかはやってないみたいです。

べつにメーカーにかぎらず、中古車販売の会社とか、自動車保険の会社とかがやってもいいと思うんですよね。ガリバー自動車教習所とか。「入会費無料、教わったぶんだけお支払い、さらに自動車保険も半年ついてくる」のソニー損保自動車教習所とか。

カーコンビニ倶楽部の「もろコミ」はいい線いってると思うけど、ここで議論にしたいのは免許取得者数を増やさないと市場が消滅するという話なのでちょっとちがう。

大きな流れとしての「非所有」の傾向は今後もつづくと思いますが、その根っこにあるのは「お金がないから固定費のかかるものはそもそも所有できない」という事実なので、そこを読み違えたらいけない。

まあクルマやバイクは駐車場代とか車検代とか乗ってなくてもかかるから「卒業後にバクあげるよ」と誘ったところでどのくらいの効果があるのかわかんないけど、こういう思考実験をメシ食いながら話せる場があると楽しいですね。

「めんどくさい」と「ウザい」の間

「人類最大にして最強の敵はめんどくさい」という誰もが納得する名言が登場したのは古谷実先生の作品「グリーンヒル」ですが、基本的に人類はこの「めんどくさい」に抗うためにいろんな発明をしてきたわけです。
テレビにリモコンがなかった時代を知らない世代も増えていますが、昭和の人たちはチャンネルを変えるためにわざわざテレビに近づいてたんですよ。いまやAT限定免許の所有率が過半数を超えてるそうですが、マニュアル車は骨董品的な扱いになっていくでしょうね。
 
ウェブの世界においても常に「めんどくさい」の解消が変化や進化のきっかけでした。
この5年くらいの間に起きていることは「いかにタップ(クリック)しないで見続けられるか」というものが中心で、Pinterestやツイッターのタイムラインなどの無限スクロールもそうだし、Instagramなどの「ストーリー」もそう。自動で、勝手に流れ続ける。
 
これはスマホがメインの端末になったからというのが大きいですね。*1
文字入力もめんどくさいし、「次のページ」をタップするのもめんどくさい。だからユーザビリティ向上の一環で自動化はおこなわれ、また歓迎されています。YouTubeの自動再生もいまでは必須機能となっています(あれ当初は反発もあったよね)。
 
でもこの流れは確実に揺り戻しがくるのもわかっています。
なぜなら自動化するにはユーザー心理の深い理解が重要で、要するに「本来ユーザーが取ったであろう行動」を予測し、その的中率が高いから歓迎されるわけで、とんちんかんな先回りはただのおせっかいでしかないから。「おもてなし」の議論と同じですね。
また歪んだマーケティングの世界では自動化にあわせて広告を半強制的に見せようとします。インフィード広告と呼ばれる手法で、まるでコンテンツの一部であるかのように擬態させて画面を専有しようとします。
 
こうしたおせっかいや押し売りが「必要悪」としてユーザーに黙殺されるのか、自動化のメリットを上回って「ウザいから自分で選んだほうがマシ」ということになるのか。
もし仮に歓迎される自動化を実現しつづけることができればユーザーの滞在時間は伸びまくるし(離脱のスキがないので)、みんなそこを目指してるんだろうけど、どこが勝利するんでしょうね。
いずれにせよ可処分時間の奪い合いが激化してるのはまちがいないし、支持を集めたサービスが総取りしていくのもまちがいなさそうなので、ユーザーがなにをめんどくさいと感じ、どこまでやればウザくなるのかを理解することが超重要だと思う(それはけっして機械学習とかビッグデータの話ではなく、むしろ運営ポリシーの話かな)。
 
どうでもいいけど、「グリーンヒル」は最高だからみんな読んだほうがいい。

*1:これがマウスとキーボードが主流だった頃だと「勝手に進めるな」とか「ユーザーに主導権を」と反発されたはず。Googleの「I'm Feeling Lucky」を押したことのある人ってどのくらいいるんだろう。

電話番号のブラックリスト化でドタキャンは防げるのか

電話番号が個人情報にあたるかどうかはさておき、これが実効性のある対策なのかについてはなかなかむずかしいんじゃないかと思った。

電話番号が使いまわされるリスクについては比較的軽微なものだと思うんだけど、電話番号の取得方法がもし「サイトから入力されたもの」や「口頭で聞いたもの」を含むのであればドタキャンするようなモラルのない人ほどウソの番号を伝えるので、無関係な人に害が及ぶことになる。
着歴のみを登録する場合はこれを回避できそうだけど、公衆電話や会社の電話からかけてきた場合はどうするのかという問題もある。

ドタキャンはほんとに困るし、お店の経営に大きなダメージを与えるので撲滅したい気持ちはよくわかるんだけど、こうしたブラックリスト的な対処で解決するとは思えないんだよね。

じゃあどうするか。
ぼくだったら、ネット予約の場合は少額でもいいから事前にお金をもらうようにするかなと思った。飲み放題のコースなら金額も予約時に確定するので全額事前決済でもいいかもしれない(そのかわり割り引いてあげるとか、一品オマケするとか)。

ホテルの宿泊予約は「現地決済」の手段も用意されてるものの事前決済があるし、ポイントバックなどで事前決済に誘導しようとしている。じっさい何割の予約者が事前決済を選んでいるのかはわからないけど、お金をおさえておかないかぎり(金銭的なリスクを負わせないかぎり)ドタキャンは減らないように思う。

食事の場合は「席のみ」予約ということも多いから事前に金額が確定しないケースも多々あるけど、その場合は「ひとり1000円」とかで一部だけおさえといて、差額は現地精算にすればいい。

けっきょくのところ、性善説で運用したいなら、システム設計はとことん性悪説で構築するべきで、ブラックリストをつくろうとしているのに相手が正しい電話番号を伝えてくれるはずだというのは、泥棒がチャイム鳴らして玄関から入ってくると考えるくらい愚かなことのように思えてしょうがない。

まあ事前決済にするとそれはそれで手数料がかかるし、返金の手間が増えたりするので現場が歓迎しないことも想像できるんだけどね。
攻城団のガイドツアーも決済手数料をケチって事前決済にせず現地で徴収することにしたし。

困ったもんですね。

検索結果や新着一覧のページ分割はPV数としてカウントすべきか

検索結果や新着一覧のページ分割はほとんどのサイトでおこなっていると思うのですが、これってPVのカウントはみんなどうしてます?
というのも今回、攻城団では新着一覧に自動読み込み機能をつけたんですけど、これをやると裏側で差分だけ取得して差し込むからGoogleアナリティクスではPVとしてカウントアップしないんですよね。

f:id:takeshi:20180206193921p:plain

もちろん

_gaq.push(['_trackPageview', '/photo/p/2/']);

のように自動読み込みの際にプッシュしたりすればカウントそのものはできるんだけど、これってそもそもカウントすべきPVなのかとふと疑問に思ったわけです。

PVなんて分割すればいくらでも増やせる

たとえばひとつの記事を複数のページに分割して読ませるサイトってよくありますけど、あれを見て「ズルだろ」と感じる人はけっこういると思うのです。しかも1000字の記事を400字で分割して3ページにしてるサイトもあれば、200字で分割して5ページに増やしているサイトもあります。

検索結果も同じで、1ページあたりの表示件数を少なくすることでいくらでもかさ増しできます。しかも今回採用したように自動読み込みにしてしまえば負荷軽減や速度向上などを理由にこれまでよりも少ない件数にできちゃいます。

基本的に検索結果は網羅性が大事なので、より多く俯瞰できるように1ページあたりの件数は増やしたくなるわけですが、自動読み込みをさせることで10件ずつ追加していくことも可能です。新着一覧になるとどうせ時系列で表示するのだからと心理的な抵抗はさらに弱まるでしょう。

これまで1ページに100件表示していたサイトが、自動読み込みするからと1ページ10件に減らした場合、当然10倍になることはないにしても明らかにPVは増えます。
なんか悪いことをしている気になるんですよね。

「PVにきれいなPVにも汚いPVにもない。ただの数字だし、ほかのサイトと比較しはじめたらキリがない」という意見もあると思うし、そのとおりだとも思う。

でも、だからこそ、心のどこかでズルしてるなあと思いながら数字を発表するのはイヤなので、いっそのこと自動読み込みで2ページ目以降が対象外になるのであれば、それはそれでいいんじゃないかと思った次第です。*1

kojodan.jp

*1:そもそもGoogleアナリティクスはすごく賢くて自動読み込みでも問題なくカウントしてくれるのかもしれないけど。

過去記事の相互配信というコンテンツマーケティング

攻城団で他サイトの過去記事を転載させていただくという取り組みをはじめました。

記事配信の提携案件って「最新記事をあちこちに同時配信」というものばかりですよね。
それは時事ネタであり即時性・速報性が求められるニュースなら致し方ないんだけど、ふつうの読み物の場合はむしろ過去記事の再利用方法としての転載戦略というのがあるんじゃないかと思ったのです。
 
どんなサイトでも記事の露出機会には限界があり、とくに時系列で並べて表示していると数ヶ月前の記事や一年以上前の記事が読まれる機会は激減します。これは記事の鮮度とは関係がないものです。
力を入れて書いた記事であればあるほどもったいないわけですよね。
 
だからそうした自サイトで露出機会を失った過去記事を別のサイトの新着記事として掲載することで、読まれる機会を創出できるのではないかと考えました。時事ネタじゃないなら「いつ書いたか」はさほど重要じゃないのですし。
 
もちろんただ闇雲にコピペで掲載すればいいという話ではないです。
載せる記事は自サイトの読者を想定しながら厳選すべきだし、写真のレイアウトや文法的な表記ルールも多少はサイトごとに揃えるべきでしょう。じっさいぼくも交渉の際には記事を選ぶことと最低限の編集はさせていただくことをお願いしています。
そしてURL正規化のために「rel=“canonical”」を使って、元記事のURLを付与することも大事です。じゃないと重複コンテンツになって迷惑かけちゃいますからね。
 
もともとはひとりで記事を量産できない弱点をカバーするために考えた取り組みなのですが、けっこう可能性があるんじゃないかと思ってます。
 
これを発展させていけば、信頼できるサイト同士が連携して、お互いの過去記事を共通の記事データベースとして共有し、事前に取り決めたルールに則って再利用しあえるというコンテンツネットワークを構築できるかもしれませんね。
(まあルールを守らない人がぜったい出てくるので、参加者選びがいちばん大変そうだけど)
 
こういう考え方ってどうですかね。
 
[追記]
いうまでもなく、これは自サイト内でも取り組めばいい話です。
(滞在時間をのばすために)「関連記事」として過去記事の再露出を図っているメディアは増えてますし、そういうブログパーツ的なものもAdSenseやLinkWithinなどいろいろありますよね。この「はてなブログ」にも関連記事を表示するオプションが追加されてます。
 
「今日書いたとしても通用する」記事なら、何年前に書かれていようと今日の読者に読んでもらえばいいのです。そもそも最近あなたのサイトを知った方にとっては初見になるわけですから。
もっともそういう公開時期を問わないような記事がどのくらいあるのかはわかりませんけどね。

マザーハウスの成功要因に最愛戦略あり!的な話

この対談記事に「最愛戦略」が引用(?)されてるよと教えてもらったので読んだ。

読んでみると、たしかに書いてある。

目指すは「最愛」
佐々木:
おもしろいですね。大きく変わっている中で、小売として差別化をはかるポイントは?
 
山崎:1つのキーワードは「最高か最安か最愛」。
「最高」のものというのは、品質面などで一番のもの。これは、ちゃんと残っていく。「最安」のものも、必要品として残っていく。
もうひとつは「最愛」。何かの価値観によって最も愛されるものを作る、ということはすごく大事だと思います。私たちが目指すのも「最愛」のブランドです。

偶然同じことを思いつかれた可能性もあるけど、おそらくはぼくが書いたのを読んでくださったのか、どこかのセミナーで話したのを聞いてくださったのか(この話はすでに30回以上はあちこちで話してます)、あるいは又聞きされたのだと思います。 

ぼくは(論文が引用されるほど価値を増すのと同じで)コンセプトなんてのは踏襲されてなんぼだと思ってるし、ある意味では実証実験をしてくださってるわけでマザーハウスがこの戦略で成功していることはとてもうれしいです。

この対談でもすごくいいことを話されてるんです。
最愛を実現するために、スペックではなく商品(と販売)にまつわるストーリーを伝えるとか、まさに正しく理解してくださってるなあと思いながら読みました。
最愛戦略において重要なのは、選ぶ〜買う〜使うといった一連のプロセスすべてのコミュニケーションを「いい感じ」にすることで、そのために顧客を絞る勇気も時には必要だったりするわけですが、そのあたりのこともすべてわかってくださってる感じ。

お客さんを集めて開催する「お客様総会」なんてのも、いまぼくが攻城団で「サポーター」制度を通じて実現しようとしていることで、ほんとすばらしいです。

取材にお伺いしたいくらいです。

 

まあだからこそ「ネットで読んだんですけど」とか「ある方がセミナーで話されてたんですけど」とか、ひとことくらいあってもいいんじゃないというモヤッとした気持ちも残るんだけど、でもまあぼくも多くの企業事例(と自分や周りの人の体験談)を参考にさせていただいてこの「最愛戦略」というコンセプトを言語化したわけで、持ちつ持たれつって感じでおだやかな気持ちで受け止めることにしました。

ぼくも今度セミナーで話すときには「マザーハウスのえらい人が『最愛戦略』を採用して実行してくれてますよー」と使わせてもらおう。

でもほんとこのコンセプトはシンプルで時代を捉えてると思うんだよなー、自画自賛で気持ち悪いけど。 

marketingis.jp

ポストモダン・マーケティングの時代はとっくに到来している

さっきタカヒロさんのこのツイートを見て「あぁぁーー!」ってなった。

(この発言の経緯や文脈は知らないけど)たぶんそういうことなんだと思う。

もちろん「マーケティングの再定義が必要」とか「マーケティングは現代において拡張されている」とか言い方はほかにもあるんだろうけど、昨今の広告やマーケティング界隈に対する違和感とかギャップはここに原因があるような気がしてきた。

もうひとつ。

ぼくがむかしマーケティングについて書いてたブログの記事を最近1日1回ランダムに自動投稿するようにしているんだけど、ちょうど昨日はこの記事が流れてきた。

これを書いたのは2010年です。最初タイトルを「4Pの時代は終わった」にしてたら「すぐ『終わった』とか『死んだ』とかいうやついるよねー」と本文も読まずにバカにされたので、「、のかもしれない」とあとからつけたのを思い出した。
「終わった」といってるのはセス・ゴーディンであってぼくではない。『Purple Cow』読んでないのか。

それにしてもこの頃のセス・ゴーディンはキレまくってたなあ。
「Purple Cow(絶対目立つ非凡さ)」なんていまのソーシャルメディアが普及した時代ではめちゃくちゃ重要だし。

たぶんいまだと「Photogenic」とかがPではじまる単語としては最有力かもね。

じゃあフォトジェニックな商品、ワンフレーズで紹介できるサービスをつくるのはマーケティングの仕事なのか、という命題が生まれる。

いまマーケティング部がすべき仕事はなんなのか、マーケターがビジネスに貢献できる役割とはなんなのかを考えたときに、ちゃんと答えを持ち合わせている人はどのくらいいるんだろうか。

炎上が増えてる背景には狂った消費者の可視化だけでなく、時代の変化に適応できていないマーケターにも原因があるのかもしれない。

「紫の牛」を売れ!

「紫の牛」を売れ!

 

炎上させる意図がなかった企業と炎上を狙うことがある代理店の事情

一部で話題になっているウェブCMの件。最初に感想を書いておくと「たぶんある程度は折り込み済みだったんだろうな」と思って騒動を見てました。

電通関係者は「炎上を狙うことがある」と。

 「ウェブなら、燃えたほうが話題になるので、炎上スレスレ。または炎上狙いをすることがあります。普通のウェブコンテンツって全然アクセスがないんです。商品の広告をわざわざ見る人はいないので」

サントリーのビールCM炎上の舞台裏 電通社員「炎上を狙うことがある」

 サントリー広報は「炎上させる意図はなかった」と。

――今回の動画についてインターネット上や、弊社が取材した消費者や学識者からは、女性の「コックゥ〜ん!」という声や表情、カメラワーク、会話の内容などから性的なメタファーを感じるという声が出ています。そうした性的なメタファーを動画中に入れ込むという制作意図はあったのでしょうか?

新発売した「頂〈いただき〉」のおいしさを、ご当地グルメや方言と合わせて全国のお客様にお伝えする意図で制作したもので、ご指摘のような制作意図はございませんでしたが、結果として制作意図に反し、視聴された一部のお客様のご気分を害する結果となり、深くお詫びいたします。

サントリー広報「炎上させる意図は全くなかった」 PR動画『絶頂うまい出張』について直接聞いた

どっちがほんとうのことをいってるのかはともかく、それぞれがそれぞれの立場上そう答えざるを得ないといった感じ。企業の広報が「狙い通りよく燃えましたね、へへへ」とかいえるわけないし、まともな人ならブランド価値が毀損する炎上なんて狙うわけがない。

電通関係者が実在するのかは知らないけど、代理店側の事情もわかる。
エッジの立ってない動画が見られるわけないのは当然で、テレビCMとちがってネットの場合はユーチューバーとか松居一代とかぶっ飛んでる連中と競わなきゃいけない以上、あたりさわりのないCMで見てもらえるわけがないから、ギリギリを攻めざるを得ないという気持ちは理解できる。

そういう意味では最近だとトヨタは「昭和か!」って思うくらいのド直球なタレントCMをつくって、ネットにも上げてるけどあれはけっこう正しい気もする。
とはいえ石原さとみや新垣結衣を使った動画でさえ、数万〜数十万回しか再生されてないというのも事実。こんなにかわいいのに。もっかいいうよ、こんなにかわいいのに。


【プリウスPHV】趣味は試乗篇


【ノア】#金曜日の新垣さん 七夕篇

 

指標がまちがってるから手段もまちがうんじゃない?

広告予算が少ない商品の場合は(メジャーなタレントをネットでも使おうとすると契約金が増すことも多い)ネット単独でプロモーションしなきゃいけないこともあって、今回のケースも少ない予算で最大の効果を狙いにいった結果、自打球で戦線離脱って感じでしょうね。

これがサントリーの「やってみなはれ精神」ゆえの炎上ってことでもないんだろうけどさ。

ただ、電通さすがだなあと思ったのは、100%批判で埋め尽くされるネタではなく、一定の擁護派も出てくるようなところをついてきてるところで、「上品か下品か」でいえばほぼ全員下品と答えるんだろうけど、これが「女性蔑視か」と問われたら意見がわかれてる。キャスティングを男女入れ替えたバージョンで同じ批判が起きたかというと起きなかったと思うしね。

また、この動画を喜々としてシェアしてるおじさんもFacebookとかのぞいたらたくさんいた。

少なくともこの商品のターゲット層のけっこうな割合を占めるおじさんにはウケてたわけで、企画としては悪くはない。

あ、ぼく個人はこういうあざとい企画は嫌いですけど、でもベタではあるのでたぶん100案考えろといわれたら入れちゃうと思います。
(そして大事なことは好き嫌いと是非はわけて論じるということです)

一方で予想どおり燃え盛るわけです。その点では企画としては良くもない。

むかしは2chの中だけで「次の祭りはどこか」と徘徊していた人たちが、いまはネットのあちこちにいるので、企業としてはほんとうに大変な時代になってしまったなと同情します。

こうした炎上を防ぐためにも現代マーケティングでは「いかに届けないか」を考えないといけないんだけど、いまだに評価指標がPVや再生回数になってる企業も多くて、その基準をクリアするために今回のような不幸はこれからもつづくんだと思う。

誰も幸せにならないのにね。

電子書籍の問題は価格ではなく発売日

この記事を読みました。

電子書籍にかぎらず何十年とかけて本を安くしすぎたというのが最大の問題の気もするけど、電子書籍にかんしては「価格が高い」よりも「なんで紙の本と同じ日に発売しないのか」のほうが不満が大きいよね。
価格によって購入を諦めて失ってる損失より、数か月待たされることで買うのをやめて失ってる損失のほうがはるかに多いはず。

仮に紙の本よりも早く読めるなら多少高くても買う人はいるし、発売後一定期間が経過したら段階的に値段を下げていけばいい。
数秒で価格を更新できるのが電子書籍のいいところなのに、そこを自らコントロールしないでAmazonに自由にさせてる現状がよろしくないんじゃないかなあ。
(再販制でできないのかと思ってたけど、どうやら電子書籍は対象外らしいし)

たぶん現場的には行程の問題があるんでしょうね。
でもいまどき「あとからデジタル化」って何割くらいあるんだろう。

冒頭の記事によれば、「紙の本は初版では利益が出ない」とのことだから、だったらその制作プロセスを最適化して、電子書籍化とその販売は利益確保のために戦略的に取り組めばいいんじゃないのかと思うんだけど、たぶん「市場が小さいから」やらないんだろうね。
でもこれはいわゆる鶏卵問題だし、どう考えても紙の下落は今後も進むわけだから、電子書籍の市場拡大に出版社自ら取り組んだほうがいいと思うんだけど。

p.s.
まあ「利益ゼロ」っていうけど内訳見たら人件費その他すべてのコストはまかなえているわけで、これけっこう初版部数多いケースじゃないかとかいろいろもやっとする点は残る。

企業から送られてくるウザったい誕生日おめでとうメールの中に見た一筋の光明

誕生日ということで、頼みもしていないのに各社からメールが届きます。
パスワード再発行時などの本人確認のために教えたのであって、こうしたメールを送るために個人情報を開示した覚えはないんだけどね。

でまあ基本的には各社ともに「誕生日おめでとう! ポイントあげますよ(だから買え!)」というメールばかりなのですが、唯一感心したのがディノスオンラインショップからのメールでした。
(そもそもいつなにを買うためにディノスのECサイトにアカウントをつくったのかもおぼえてないんだけど)

届いたメールの内容を抜粋します。冒頭から途中までです。

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インターネットでのお買い物をより安全に。より安心に。
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いつもディノスオンラインショップをご利用いただきまして、誠にありがとうございます。
ディノスでは、一年に一回、お客様がお誕生日を迎えられた機会に
パスワード確認のご連絡をさせていただいております。

お誕生日などの推測されやすい数字は使用されていませんでしょうか。
パスワードの変更は、ディノスオンラインショップにて簡単に行えます。
この機会にぜひご確認ください。


▼パスワードの変更はこちら↓から
https://www.dinos.co.jp/defaultMall/sitemap/CSfSetPassword_002.jsp

ログイン後、パスワード変更画面が表示されます。

※変更後も定期的にパスワードをご変更いただくことをおすすめ致します。


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バースデーeクーポン1,000円分ついて
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ディノスオンラインショップ会員の皆様へお誕生日当日に「eクーポン1,000円分」をプレゼントしております。
こちら↓から

こんな感じで「クーポンあげます」は中断以降に記載されているものの、メインはパスワード変更の案内(というかセキュリティ意識の啓蒙)となっています。
これはなかなかかっこいい。

もちろんパスワードは変更しまくればいいってものではありません。
むしろ各サービスごとに設定された強固なパスワードであれば変更なんてしなくていいし、ぼくはじっさいそうしています。1Passwordは便利! 

1Password

1Password

  • AgileBits Inc.
  • 仕事効率化
  • 無料

 ディノスのサイトには「パスワードは定期的にご変更ください」とあってそのあたりはヘボだし、16桁しか許容しないのもふざけんなと思います。
ただ誕生日という情報を「あんた、誕生日をパスワードにしてないか?」という案内に使うのは唯一許容されるやり方かもしれないなあと思いました。

まあいまどき正直にほんとうの誕生日を登録している人が何割くらいいるのかは知りませんけどね。

求人ってじつは不動産に似ている

いまから10年くらい前、ある特許を申請するために弁護士の先生に広告の仕組みについて説明してたんだけど、そのときに「ああ、なるほど、ようは不動産と同じってことだね」と先生がおっしゃったのがとても印象的でいまでもおぼえている。
つまり「かぎられた枠を売買する(おおむね需要と供給で価格も決まる)」という点で構図としては同じだと。

いわゆる本質論というやつで、それからはより一層「この新しげに見えるやつは、既存のなにと似ているのか」と考えるようになったし、その習慣はいまもつづいています。

それから数年後、「ああ、これこそ不動産と同じじゃないか」と思ったのが「求人(採用)」です。求人というのはまさにかぎられた枠を取り合う(売買じゃないけど)という点で、不動産と似ている。
そしてこのことに気づいたのとほぼ同じタイミングで「これいいな」と思ったのが、東京R不動産というサイトが実装していた「この物件に空きが出たらメールでお知らせするよ」という機能です。

ぼくのなかでこのふたつは別々の出来事なんだけど、同時にひとつのこととして受け止めた。なんでかよくわからないけど、まあ「ひらめく」というのはそういうことかもしれない。

そして「企業は求人ページに『現在求人中』の職種だけ掲載するのではなく、将来求人する可能性のある職種もぜんぶ掲載しておいて、いざ求人開始になったら見込み求職者にメールでお知らせする機能をつけたらいい」と考えるようになり、じっさいけっこういろんな人に話した気もする。
残念ながら当時のぼくが期待されていたのはマーケティングの領域での貢献だったので、この手の提案が受け入れられることはなかったんだけど。

でもいつか、もし、自分が会社をつくったり、どこかの会社で人事にかかわる仕事についたら実現しようと思ってた。
まさかほんとうに社長になるとは思ってなかったし、いまでもついつい忘れがちなんだけど(「団長」の自覚はあるんだけどねえ)。

じっさい転職ってタイミングがほぼすべてですよね。転職したいと思っても人事に空き枠がなかったり、企業側もけっきょく「さあ募集するか」と求人を開始してから見つけられるかぎられた人材の中から選ばなきゃいけない。

タイミングがほぼすべてだからこそ、できるだけこれをコントロールできないか考えたいんですよね。それも求職者にとっても企業にとってもメリットのある方向で。

引っ越しでたとえると、いつかここに住みたいなと思いつついまの家で暮らすのと、いざ引っ越しが決まってから次に住む家を探しはじめるのではぜんぜんちがうわけです。

いまは「とりあえず雑談しに来ませんか」みたいなカジュアルな(?)転職サイトもあるけど、ぼくみたいに人見知りな人間はそういうのはとても抵抗があるし、そもそもこのカジュアルさ自体がある種のリトマス試験紙になっていて、ぼくのような人間はまずフィットしないだろうなって思う。

前に「世の中には休みの日に会社の同僚とバーベキューする会社としない会社のふたつしかない」みたいな話をしたけど、いろんな会社があっていいと思う反面、前者の会社ばかりが紹介されたり、「いい会社」とされるのはどうにも違和感がある。
ああ脱線しかけてる。ダメだダメだ。

求人ページの話に戻します。
残念ながら攻城団合同会社はまだ社員を募集できるタイミングではないのだけど、今年からは(予算の許すかぎり)業務委託を中心に外部の方にどんどん手伝っていただいていこうと思っています。
そこで手伝っていただきたい作業の一覧を掲載して、協力者を募集するページを用意しました。

で、ようやく話がつながるんだけど、そこに「案件が掲載されたら(=ページが更新されたら)メールでお知らせする」機能をつけました。

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将来的にはフリーランスの方や主婦の方や副業OKの会社の方など、100人くらいの方がいつでも手伝うよといっていただけうようなグループになればいいなと思っています。

ちなみにメールを送るシステムですが、かつてsmashmediaってブログを書いてた頃に「EBISU GIGS」って飲み会を不定期に開いていて、その「飲み会を開催するときにメールでお知らせする」機能をブログに用意していたのを再利用しました。
リユースは大事ですからね。あ、団員にメールを送る仕組みを自作する予定があるので、そのときにリプレースするつもりです。

ま、考え方としてはかつてぼくが考案した「入荷お知らせメール」と同じですね。ワンパターンというか。

じっさいのページはこちらです。お知らせメールの登録はもちろん、いますぐのご応募もお待ちしています!

kojodan.jp

スタンプメーカー「ポムリエ(pomrie)」で住所印をつくっちゃおう

2013年にカシオから発売されたスタンプメーカー「ポムリエ(pomrie)」って製品があります。
オリジナルのスタンプを自作できるプリンタなんですけど、これを使って住所印をつくればコスパ的にもいいんじゃないかと思ったのでやってみました。

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会社にかぎらず、個人事業主として請求書とか送ったりする人には便利なテクだと思います。テクってほどでもないか。
 
住所印ってちょっといいのだと数千円しますし、アスクルで注文しても(いちばん安いので)2000円です。個人事業主の場合は自宅住所になるケースが多いと思うんだけど(ぼくもそう)、引っ越す可能性を考えたら2年後に使えなくなっちゃうリスクが高かったりして、なかなか手が出せなかったりしますよね。
 
でも「ポムリエ」は3年前の製品ということもあり、叩き売られてるので安く買えます。
ふつうに買うとプリンタ(=スタンプメーカー)単体なんだけど、いくつかのサイズのスタンプシートが入ったセットが出てるのでこっちを買ったほうがお得です。ちなみにぼくはAmazonで5100円で買えました。
 
スタンプづくりは専用アプリがあるので簡単です。
とくに住所印のようにテキストの配置だけでできちゃうようなデザインなら数分でつくれます。

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あとはこれを製版するだけ。
細かい技術的なことはよくわかんないんだけど、スタンプシートを挿せば勝手にプリントされたのがデロデロって出てきます。

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「ポムリエ」にはPC専用のUSB接続タイプ(STC-U10)と、スマホでも使えるWi-Fi/USB接続タイプ(STC-W10)の2機種がありますが、Wi-Fiの設定は嫌がらせかって思うくらいややこしいので、パソコンを持ってる人ならUSB接続タイプでいいと思います。ただセットで買うと勝手にWi-Fi/USB接続タイプになっちゃいますけどね。
 
どのくらいめんどくさいかっていうと、SSIDとかぜんぶ手入力な上に、すぐにリセットされて再設定を求められます。なので、ぼくはけっきょく一度はWi-Fiの設定をしたものの、けっきょくUSBでつないで使ってます。
 
じつはこの「ポムリエ」は発売当初から住所印メーカーとして使えるんじゃないかと狙ってはいたんですけど、定価が高くてけっきょく買わなかったんです。
本体だけで5980円(STC-W10だと7980円)、さらにスタンプをつくるには必要なサイズのスタンプキットを買わなくちゃいけなくてこれがだいたい1000円くらいします。ね、ちょっと高いですよね。
 
今回は3年経って安くなってたのと、自宅住所と会社の住所のふたつをつくる予定があったのでそう考えれば安いなと思って購入しました。余ったサイズのスタンプキットでロゴをデザインしたスタンプとか、家紋のスタンプとかもつくれますね。
カシオ スタンプメーカー ポムリエ Wi-Fi/USB対応特別セット STC-A-SET

カシオ スタンプメーカー ポムリエ Wi-Fi/USB対応特別セット STC-A-SET

 
来年はガジェットブログとして再開しますうそだけど。

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり