いまさっき思ったこと

あとで読み返したときになにかが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど、それはそれでいい

けっきょくのところ「運営と制作の一致」を実現する組織の構築は可能なんだろうか

東さんがツイッターで「社長やめる、会社やめる」と泣き言を書かれてるのを見て、ふだんならスルーしていたんだけど、今回はなんかすごく真に迫るものがあり、気になって「ゲンロンβ32」を読んだ。 

ゲンロンβ32

ゲンロンβ32

  • 作者: 東浩紀,沼野恭子,土居伸彰,吉田寛,吉田雅史
  • 出版社/メーカー: 株式会社ゲンロン
  • 発売日: 2018/12/28
  • メディア: Kindle版
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ざっくりまとめるとこんな感じ。

  • 「運営(プラットフォーム)の思想」と「制作(コンテンツ/クリエイター)の思想」は常に対立する
  • そして「運営の思想」が圧倒的に優位である
  • なぜならプラットフォームは少数だが、コンテンツは代替可能だから
  • しかし「運営の思想」の世界では大衆が求めるものばかりで埋め尽くされ、コンテンツの多様性は失われる
  • だからといって「制作の思想」を優先してもけっきょくは別のプラットフォームへの依存度が増すだけで自滅する
  • よってゲンロンでは「運営と制作の一致」を目指すことを試みている
  • それは単純に経営者と制作者が同じであるという構図の話だけでなく、「運営の思想」の原則である「等価交換」を意図的に否定する(文中では「失敗させる」とある)ことで実現する
  • ゲンロンは商品の中に常に余剰を忍び込ませ、等価以上の「なにか」を提供するし、それを可能にするには運営と制作の思想が一致しないと無理
  • ところで、雇用も含め、現代は流動性が善とされている
  • 労働力が代替可能な商品として経営者と労働者の間で等価交換されていることを示しており、それを労働者自身が受け入れている
  • ゲンロンは社外に対しては等価交換「以上」のものを提供する一方で、社内においては等価交換の論理で支配されていた
  • その差分が経営者個人の負担となっていた(よって壊れた)
  • 文化(哲学や芸術)は等価交換の外部にあり、これを可能にするのは「運営と制作の一致」しかないがめっちゃむずかしい
  • 数カ月後にまた社長に戻ってがんばる

もうちょい詳しく書くと

ちなみにぼくは東さんの文章をはじめてちゃんと読んだので、誤解・誤読もあるかもしれない。
そもそも難解な言い回しが多く、ぼくにはむずかしすぎた。それでもたぶん言いたいことは伝わったような気がするし、自分なりになんか書いておきたくなったのでつらつらと書いてみた。自分でも忘れがちだけど、いちおうぼくも中小企業の社長なんだよな。

まず前提について、ざっとかいつまんで書くとこんな感じ。

  • 世の多くの文化的問題は「運営の思想」と「制作の思想」の対立から生まれる
  • 「運営の思想」とはプラットフォームが優位とする立場で、「制作の思想」は逆に個々のコンテンツを生み出すクリエイターが優位とする立場のこと
  • ネットにかぎらず世の中は「運営の思想」が圧倒的に優位である
  • なぜならプラットフォームは寡占状態にあるが、コンテンツやクリエイターは無数にあるため代替可能だから

ネットではながらく「Content is King」なんていわれていたけど、実質はGoogleなどの検索エンジンだったり、Facebookやツイッター等のSNSに支配されてます。
どんなに素晴らしいコンテンツでもグーグル八分にされればほとんどの人の目に触れることはないわけで、プラットフォームのほうが優位であるのはそりゃそうだよなあって感じだし、どれだけユーチューバーが儲かってるといってもYouTubeはそれ以上に儲かってるわけで、この「元締めや胴元が勝者である」という構図もとくに目新しいことではない。

だけど「文化」や「芸術」が「運営の思想」から生まれるかというとなかなかむずかしい。
直近の話でいえば、先日あるユーチューバーが事故死した直後に大量の追悼(?)動画がアップされていた。おそらく注目度マックスなのでたくさん見られるんでしょう。そしてより儲かるようにYouTubeはその動画をプッシュするわけで(ランキングとはそういうアルゴリズムだから)、コンテンツの多様性は消え、地獄のようなスパイラルが起こる。

こういう現実を懸念して「芸術や作家性を守るためにプラットフォームから独立して……」といった話が何度も起きては何度も失敗するんだけど、それはけっきょくパトロンシステムでしか成立しないモデルを構築しているからだと。

 運営の思想の優越を批判する人々の多くは、運営の思想が入りこまない、制作の思想優先の場を確保することが問題解決の方法だと信じている。具体的には、大学の文学部や人文系出版社が、そのような「外部」として想定されている。けれども、その戦略は有効に機能しない。なぜなら、ぼくたちは結局、運営の思想すなわち資本主義の外部に出ることができないからである。運営の思想の外部を作る試みは、現実には「運営の思想の外部を守ってくれる運営者」に依存することしか意味しない。教員のユートピアは大学が経営方針を変えたら終わりだし、編集者のユートピアは出版社が経営方針を変えたら終わりである。金勘定をしないクリエイターは、かならず金勘定をする運営の奴隷となる。文芸誌の出版は、ヘイト本の売り上げに依存していると聞く。若手演劇の世界では、助成金の申請に強いスタッフが重宝されているらしい。現代の「文化」は、おそろしく脆弱な基盤のうえで維持されている。

東 浩紀; 沼野 恭子; 土居 伸彰; 吉田 寛; 吉田 雅史. ゲンロンβ32 (Kindle の位置No.120-128). 株式会社ゲンロン. Kindle 版.

ここはぼくにも理解できたし、いちばん納得した。この部分をちゃんと引用するために主従のバランスをそれっぽく見せるためにほかの駄文を書き綴ってるといっても差し支えないくらい。
「運営の思想」=資本主義と定義しちゃっていいのかわかんないけど、「文化」で「食う」ためには「運営の思想」を受け入れて、かつ代替可能ではない存在になるしかない。
(ちょっと最愛戦略的な話に近いので共感したというのもあると思う)

それは言い換えれば等価交換を拒否して、それ以上のものを提供することだと。まあこのへんは「満足というのは相手の期待値以上のものを届けて……」みたいな話だし、ゲンロンの商品を今回はじめて買ったぼくがあれこれ語れるわけもない。
でも多くのファンがいて、友の会と称する定期購読者(になるのかな)がたくさんいることを踏まえれば、これまでに東さんたちがやってきた等価交換を意図的に失敗させて、常に相手の期待をいい意味で裏切ってきた施策はうまくいってきたんだと思う。

で、そうしたいわば「オマケつき」商品を「会社」として提供しつづけるにはけっこうしんどいぞというのが会社崩壊の理由らしい。
ここから先はわかるところもあったし、わかんないところもあった。それは共感できる/できないという「わかる」ではなく、単純に理解できるかどうかという意味で。

「給料分働く」というのは等価交換といえる。だけど常にオマケを提供しようとするなら、それは利益を減らすか、会社が拘束する勤務時間以外も従業員はアイデアを考えるか、何らかの手段でバランスをとるしかない。だけどブラックは許容されない。
これほんとむずかしいよね。「経営者目線を持て」とかアホかって思うけど、「給料分働く」もシビアに考えれば一定割合の社員は達成できてないわけで。
ぼくの新入社員時代なんてたぶんAIかなんかで貢献度を数値化したら給料はマイナスになってたかもしれない。

後半はこの等価交換の話になっちゃってて、前半の「運営の思想」と「制作の思想」の話があやふやになってるんだけど、これをもっかい持ってくるならば、たぶん企業の数がプラットフォームとしては多すぎるので、優位性が働かなくなってるわけだよね。
よって「制作」側に位置する従業員のほうが、「運営」側に位置する雇用主よりも優位になってると。

相互に代替可能な雇用主と従業員を前提にすると、会社という組織が「運営と制作の一致」を目指すこと自体が不可能なのかもしれないし、給与等の待遇だけで解決できるとも思えない(ゲンロンの労働環境は悪くないらしい)。
代替不可能な存在になる、というのは簡単なことではないし、それこそ「宗教かよ」って揶揄されちゃうけど、宗教的な企業は入社時のカルチャーフィットのチェックさえまちがえなければ離職率が低いことも事実だよね。

たぶん文化(哲学や芸術)は等価交換の外部にある以上、それを生み出す組織も既存の労働観の外部に置かないと無理だっていいたいんだけど、そしたら速攻「ブラックだ」と叩かれちゃうのでぼやかしたのかな。
(でもそういう組織を目指していくという気概みたいなのは感じた)

ということで後半はよくわかんなかったけど、前半の「文化」で「食う」ための方法論みたいな話は自分がやってることにも近いのでけっこう納得して読めました。
寝る前の15分くらいで読んだけど、ふつうにおもしろかったです。

 

追記)

  1. あくまでもぼくの残念な読解力に基づく自分語りなので、東さんがどう考えてるかはわかんないし、とりあえず気になった人は500円だから買って読めばいいと思う。
  2. 書いてる途中で「ほぼ日」のことが浮かんだけど、最近ウォッチしてないのであえて書いてません。
  3. 「運営と制作の一致」を目指してプラットフォームをつくろうとする動きはサッカー解説者の中西哲生さんたちがやってる「0014 catorce」が近いんじゃないかなと思った。

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり