いまさっき思ったこと

あとで読み返したときになにかが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど、それはそれでいい

おもしろいインタビューは過去ではなく未来を問う?

昨日の深夜、NHKで「SWITCHインタビュー 達人達」の再放送をやってたので見てたんだけどほんとおもしろい。漫画家の松井優征先生とデザイナーの佐藤オオキさんの回ね。
オンエア時に見逃してたからラッキーでした。

で、つくづく自分がこういった対談とかインタビューといったものが好きなんだなあと実感したわけなんだけど、なにがおもしろいかというと、「ある人がその場で考えを整理して言葉にする」という瞬間に立ち会うのが好きなんだと思った。それも一流の実績を残してきた方であればなおのこと。

当人がさほど(あるいはまったく)考えてこなかったようなことを問われて、「さて自分はその問題についてどう対処しているんだろう」と考え、相手に伝えるために言語化する。
すっとは出てこないこともあるけど、その「うーん」という表情も好き。そして「こうかなあ、いやちがうな」みたいな発言も好き。
そうやってさぐりさぐり、慎重に言葉を選びながらようやく答えた言葉にものすごく興奮するんですよね。

松井先生「何が好きなんだろうって言葉にできますか? デザインのなにが楽しいか」
佐藤さん「なにが好きなんでしょうねえ……、考えたことなかったなあ……、うーん、なんでしょうかねえ」

こういう時間ってじっさいテレビ番組ではカットされちゃうことも多いだろうし、紙面/誌面ではばっさり削られちゃうんですけど、ぼくはこの「みんなが待ってる」時間が好き。
問われて考えてる本人も含め、全員が何十秒とかの時間をただ待ってるだけ。

けっきょくこのあと佐藤さんは「期待されることなんでしょうね。ひたすら期待に応えたい、そのプロセスを楽しんできた」と答えて、さらに自分はなんでも楽しめちゃう、好きになれちゃうという話がはじまるんだけど、この自分語りを引き出したのは松井先生のふわっとした質問なんですよね。

ふわっとした質問は諸刃の剣で、相手をただただ困らせてしまうこともあるけど、相手とタイミングさえまちがえなければ問われたほうから感謝されたりします。
あなたのおかげで自分の考えを整理できましたってね。

こういうふたりのやり取りで「跳ねる」瞬間も好き。

佐藤さん「アイデアって硬度があると思ってるんですよ、硬さ。で、それをどのタイミングでどう固めていくのがいいかってのがけっこうポイントとしてあって、二次元の絵とか、スケッチとか、まだ柔らかくて、解釈の余地があるじゃないですか。それがたぶんアニメみたいな動画になっていったりとか、立体になったりとか、どんどん固まってっちゃうので、もう立体物になるとかなりアイデアって固まっちゃうんですよ」
松井先生「商品化されてしまうってことですね」
佐藤さん「そういうことなんですよ」
松井先生「その、わたあめみたいに広げる時間が長いほうが総面積が広がるみたいな」
佐藤さん「あああああああ、そういうことです! そこの、どのタイミング、ギリギリまで柔らかく保持できるか、その固めるタイミングっていうのがけっこうミソなのかなって気がします」

完全に通じたって感じが見てる側にも伝わってきてて(まあ視聴者にも通じてるかはわかんないけど)、佐藤さんの「理解者があらわれた!」ってテンションが上がったところとか最高でした。

まあこういうのは聞き手の問題が6割方あって、いい質問だからいい答え、いい反応を引き出せるってのはわかるんだけど、なんとなく思ったことがあります。

それは「過去を問う」じゃなく「未来を問う」ことを意識したほうがいいなってことです。
ぼく自身、これまでも取材としてインタビューする側に立ったことは何度かあって、それは成果物の都合上、基本的には「なにをやってきたか」を聞くことが大半でした。まあ確認作業ですね。
もちろんそのときに「(その当時は)どんなことを考えてたのか」という質問も入れるようにはしてたんだけど、この手の質問は相手の記憶をすくうだけで、深層の思考には到達できない。

たとえばこれが「もし次にやるならどうします?」と聞き方を変えるだけで、たぶん相手はあらたに答えを考え出さなきゃいけなくなりますよね。
いくつかの反省材料はきっとあるだろうから、それをどうやって改善するか、一度やってみたことでわかった課題や制約も踏まえて、現実的な落とし所として妥当なラインはどのへんなのかを猛スピードで考えながら答えを紡ぎ出すと思うんですよ。

いってみれば過去を聞いただけでは相手の「経験」しか聞けないんだけど、未来を問うことでようやく「経験値」を手に入れることができるというか。

よくある事例乞食みたいなのも同じ話で、過去しか見てないから「経験」コレクターになっていて、だから自分で実行する際にうまくアレンジできないし、結果、雑なパクリになって失敗する。
相手の「経験値」を拝借してこそ、スタートの条件をより有利にできるわけで、ここはもっと意識したほうがいいなあと思いました。

そういや、対談コンテンツが好きすぎてこんなのもつくってたんですけどね。

日本ではNPSの導入はむずかしいかもしれない

最近こういうメールが届くことはありませんか。

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ついこないだもMediumから届いたのですが、これはDelightedというNPSを調査するためのASPSaaSっていったほうがいいのかな)が送信するメールです。

NPSというのは「あなたはこのサービス(商品)を自分の身近な人に推薦しますか?」という質問から、サービスの支持率を測る考え方です。ようは「周囲にクチコミしたくなる」というのは強く支持されてるよねってことです。

一般的にサービスの評価には「顧客満足度」という指標が使われてきましたが、これは「自分が満足したか(気に入ったか)」を問うもので解約率との相関は強いものの、サービスの成長に関してはNPSのほうが適しているということで、ここ数年は海外のベンチャーを中心に採用する企業は増えています。

まあ詳しくはこのへんを参考に。

で、NPSは0点から10点までの11段階評価で回答してもらいます。
ポイントはこのうち9点と10点をつけた人だけがポジティブな評価になること、6点以下は批判的な立場として評価されることです。

勘のいい方ならお気づきだと思いますが、日本人は「ふつう」という感想を持ったときに5〜6点をつけることが多いですね。7点になると「ちょっといい」になりますよね。
だから仮に顧客が全員「ふつう」という感想を持っているとNPS的にはマイナスの結果が出ます。

また8点は「けっこういい(ときどき薦める)」という感覚の人が多いと思うけど、8点は中立の立場として評価されるので全員が8点の場合、NPS的にはプラマイゼロになります。

とまあこんなふうに日本人にはフィットしてないんじゃないかという疑念があったり(もともとこの11段階評価はアメリカの成績の基準にあわせたものです)、じっさい日本で実子されたNPSの公開データを見るかぎりほとんどがマイナスになってるので、実用性としてはどうなのかなあという意見もけっこうあります。

Delightedはトライアルで250通の調査依頼メールを送ることができるので、先日ぼくがやってる攻城団で試してみたところ、もうひとつ課題があることに気づいたのでシェアしておきます。
日本人特有ってこともないんだけど、たぶん日本人ではわりと強く影響が出ると思うので。

それは本人は満足してるし他人にも推薦したいんだけど、「友だちがいないから」という理由で低い点数をつける人がけっこういるということです。
攻城団は自分が訪問したお城を記録するサービスなので、「自分のまわりに城好きがいないので」と攻城団のことは評価していても「推薦できないから0点」とか「どっちでもないということで5点」という人がけっこういました。
(0点も5点もNPS的にはマイナスです)

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マイナス評価になってる理由の大半が「身近に紹介する相手がいないから」なんです。
(協力いただいた団員のみなさん、ほんとうにありがとうございました!)

この結果を受けて、ぼくは「こりゃNPSを使うのはダメだな」と思ったんですよね。
日本人の謙虚な採点によって、NPSが全体的に低めに出ちゃうのは前回との比較とかでは問題とならないので許容できるんだけど、今回気づいた「紹介する相手がいるか」まで考えて回答しちゃう方がこれだけいると、出てきた結果の信憑性に問題が出ます。

平行して実施している利用者アンケートでは(まだ途中ですけど)「攻城団をほかの誰かに紹介したことがありますか?」という設問に対して、4割近い方が紹介したことがあると答えてくださっていることからもNPSの値が正しい結果を表してない証明になると思います。

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もちろん日本でもNPSをうまく活用できるケースもあるとは思うんですけど、日本人相手ではむしろそっちのほうが特殊なのかもしれません。

もしなにかうまく活用されている事例をご存知だったら教えてください。

あとこれは余談ですけど、Delightedのようにいろんな会社のNPSが自社のデータベースに蓄積されていくとすごく価値のあるデータになりますね。
業界ごとの分析とかもできるようになるし、NPSが高い会社の株を買ったりとかね。

「漫勉」がおもしろいのは浦沢先生が見たいものをつくってるから

「漫勉」ほんとすごい番組ですね。昨夜からシーズン3がはじまりました。

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ツイッター上ではプロの漫画家たちが盛り上がってコメントしてる。「池上遼一先生でもデジタルで反転させてるの!?」とか。

番組内で浦沢先生も池上先生の血しぶきの飛ばし方を「このやり方は知らなかったなあ」とコメントされてた(こういうシーンは毎回のようにある)。
 
番組の構成としては非常にシンプルなんだけど、なぜこうもプロ・アマ関係なく楽しめるのかというと、やっぱり浦沢先生自身が見たい番組をつくってる点にあるんだろうな。
漫画家の作画風景、それも手元のアップを見たい、なんて発想は素人からはなかなか出てこないですもんね。じっさい最初この企画はボツにされたと番組でもおっしゃってましたけど、なかなかおもしろさがわかんないと思います。
 
ぼくがよくいう「自分が書きたいものでも、みんなが読みたいものでもなく、自分が読みたいものを書け」って言葉にも通じるので、なんか勇気をもらった感じ。攻城団もこのまま進めていこうとあらためて思い直したり。
もちろん自分の感性が世間からズレまくってるならこの手法はダメかもしれないけど、試してみる価値はじゅうぶんあると思いますよ。
それにしても池上先生の作画風景はすごかったなあ。

「ふるさと納税」で赤字?

まあそうだよなあという感想しかないのですが。

福島県郡山市において、「ふるさと納税」で全国から受け付けた寄付金の総額(IN)よりも、市民が他自治体に寄付したことによる市民税の控除額(財源流出額=OUT)のほうが多かったという話。
ちなみに昨年度はマイナス7389万円だったとか。

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ふるさと納税のおかしな点については多くの人が指摘しているとおりですが、最大の問題点は、資本主義の悪い部分を導入してしまったために、返礼品の豪華さを競う全国大会になってしまっていることがあげられます。
お米や牛肉などの特産品ならともかく、パソコンやiPadなどももらえたりしますからね。
寄付総額から返礼品のコストを差し引いたらいくら残ってるんですかね。

メディアの取り上げ方も株主優待と同じカテゴリで、「いかに得をするか」という切り口でしか紹介しないし、けっきょく地域格差や過疎の問題解消にはほとんどなんの役にも立ってません。アホみたいだけど。

記事の締めには

 控除額の約75%は国からの交付税で補填(ほてん)される。市は「過剰な返礼品競争は行わない」とした上で、寄付者の満足度の向上のため返礼品の種類を増やすなど拡充を検討している。

とあり、マイナス7389万円の75%はけっきょく交付税で補填されます。
そして「返礼品競争はしない」といいつつ、打開策はそこにしかないので「返礼品の拡充を検討」という矛盾した話になっています。

ちなみに郡山市の現在の返礼品は「郡山市のブランド米・あさか舞」です。
たぶん牛肉とかが追加されるんだと思います。

税金の使途を納税者が自分で(ある程度)決められるというのは美しい話に聞こえるんだけど、現実としては納税者側は「いかに節税して得をするか」という基準で行動する人が大半です。でもそれはルールの中でやってることなんだから責めてもしょうがない。

一方の自治体側は、返礼品をかき集め、物品や礼状を送る手間が増えて、いったいほんとうに幸せになっている自治体は全体の何割あるんでしょうかね。
やめちゃえばいいのに。

無料で使うことの対価

ネットの場合は基本的に「無料だけど広告載せる」ですね。
媒体側の本音は「広告見てね」だし「広告クリックしてね」なんだけど、残念ながらそれは叶えられなくなっていて、だからネイティブアドが注目されたり、ネイティブアドもどきな誤クリック誘発広告が横行しているわけです。

ネット広告が救われない方向に進んでいる一方で、断固として「独立性を守るため広告を入れない」と戦っているのがWikipediaです。
まるで『あなたの暮し』です。「とと姉ちゃん」最高ですね。

ぼくは自分が「まんがseek」という分類としては似たサイトを運営していることもあり(これは自慢ですが「まんがseek」のコンセプトである「みんなでつくるデータベース」はWikipediaの一年前に考えて公開してます)、オープン当初からずっと注目してきました。

ふつうに利用者としても累計100万アクセスじゃ足りないくらい毎日のように使ってますし、お世話になってるし応援したいという気持ちから過去に何度か寄付の依頼に応えてきました。

ここまではいい。

公平・中立を維持するために広告を入れないというポリシーには共感するし、投げ銭的に運営資金を集めるのもとてもインターネット的だと思う。

だけどちょっと寄付の集まりが悪くなってきたのか催促がえげつなくなってきた。

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ページのほとんどが寄付の依頼で、びっくりしちゃう。
さらにこんなメールも過去に寄付した人には届いているようです。

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けっきょく広告を無視するか、年に数回の寄付の催促を容認するか、どっちを希望するかという話でしかないんですけど、ここまでウザいならAdSense貼ってもいいんじゃないのとか思ってしまうぼくがいます……。

[9月15日追記]
またメールが届いた。そして文面がより切実な感じになってる。

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[9月28日追記]
自称「最後のメール」が届いた。ほんとに集まってないんだろうなあ。

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熊本のことを忘れないために

基本的に人の善意というものは長続きしません。というよりも人の興味の賞味期限は短いといったほうが正確かな。
それが同情であれ、共感であれ、あるいは愛情や憎悪であってでさえ、なにもしなければ沈静化していくし、いずれは「無関心」になってしまう。

某乳食品の会社による集団食中毒事件、某洋菓子メーカーによる食品偽装、某ハンバーガーショップによる商品異物混入事件などなど、世間を騒がせた事件は毎年のようにありますが、いまでも記憶している人はどのくらいいるでしょうか。
ただね、ぼくはこの「人は忘れる」ことを悪いことだとは思っていません。それこそ再チャレンジ可能な社会を実現する土台は、こうしたぼくらの「どんどん忘れる」習性だったりすると思うからです。

とはいえ大事なことは忘れない努力をするべきだし、ときに震災などの復興支援については1日でも長くその気持ちが持続するように、関係者が思考し、努力すべきだと思うんです。
ここでいう「関係者」はなにも被災者のことだけではなくて、「応援したい」と願う人のことも含んでいます。

少し前段が長くなりました。

今回、ぼくらは熊本地震で被害を受けた熊本城の修復再建を支援するために、チャリティTシャツをつくりました。
このTシャツの販売で得られた利益(ようするに原価をのぞいた金額)はすべて熊本市に寄付します。

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地震が起きたのは4月14日、そこから数日で日本赤十字社やCivic Force(シビックフォース)、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)などで支援金・義援金などの募集がはじまりました。
Yahoo!ネット募金も立ち上げられて、ぼくも所有するTポイントをぜんぶ寄付したのをおぼえています。

避難所などで人のプライベートな部分に文字通り土足で踏み込むマスコミの振る舞いに非難も起きてましたが、彼らが連日報道してくれたおかげで現地の様子を知ることができたのも事実です。
ただこうした報道もどんどん少なくなって、いまではほとんどテレビで熊本の様子を目にすることはなくなりました。まあ神戸のときも東北のときも同じですし、こればかりはしょうがないんだと思います。

そう、しょうがない。

ここでマスコミに対してぷりぷり起こっても意味がなくて、彼らは彼らの論理で動いているわけで――ようはライバル局よりも視聴者ウケする情報・映像を探しては流してるだけ――それは変わることはありません。

インターネットのチカラ、ソーシャルメディアのチカラがそれを打ち負かしたり、代替できるなんてこともありません。そんな妄言を口にするのは夢想家かただのバカです。
でも、火を消さない程度の貢献はできると思うんです。

攻城団は影響力も微々たるものですから募金を呼びかけたところで大金が集まるわけでもありません。ふたりでやってるので大きなことができるわけでもありません。
だから「はやく」は早々に諦めて、ぼくらは「ながく」支援することを自分たちの指針にしようと決めました。

マスコミが報道しなくなってからがむしろ勝負で、「いまの熊本(熊本城)」を継続して伝えていこうと、そしてひとりでも多くの人が、一日でも長く、熊本城が倒壊したことを忘れないように発信していこうと決めたのです。
(じつは熊本に引っ越そうかと考えもしたのですが、それは無理しすぎなのでやめました)

とはいえできることなんてたかがしれています。
それでも定期的に訪問してこれまでに2回現地レポートを書いてきました。そして今回、みんなといっしょに行動するためにチャリティTシャツをつくりました。

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たくさんの人にTシャツを買っていただけるとうれしいですけど、まずはこの記事を読んでいま一度、熊本に思いをはせる人が増えてくれたらいいなと思ってます。

詳しい経緯とか裏話的なのは攻城団のブログに書きました。

kojodan.jp

ポケモンGOは地方にとって迷惑なのか、アニメにはまちおこしの力なんてないのか

ぼくは自分で「攻城団」と「まんがseek」というサイトを運営していることもあってコンテンツツーリズムについてはその言葉ができた当初から関心があって、これまでも本を呼んだりセミナーに参加したりしていろいろと考えてきました。
先週、コンテンツツーリズム系で興味深い記事がふたつあったので紹介がてらコメントなど。

ポケモンGOは地方にとって迷惑なのか

そもそもスタンスとしてはネガティブな書き方の記事です。
鳥取砂丘を「県外からの観光客を呼び込もうとPRに懸命になっている。」と、大阪の千林商店街を「モンスター目当てで、多くの人が訪れるようにする取り組みで集客を図ろうと必死だ。」と紹介してますしね。
まあ懸命で必死なのは事実なのかもしれませんけど。

つづいて地方都市の実情として、観光協会幹部の談話が紹介されています。

ある地方都市の観光協会幹部はこう話す。

ポケモンGOは観光客を呼び寄せる仕掛けにはなっていると思います。ただ、それが経済効果になるかといえば、そこは疑問です。ポケモントレーナーの多くは、スマホ一台で来ますし、現地で遊んでいくわけでもないので観光客と呼んでいいかも疑問です。トレーナーは現地に足を運んでも、目的はポケモンGOなのですから日帰り客も多い。そうなると、宿泊が伴わないので地元への経済効果は薄い。地元の飲食店やお土産店で消費してくれるかといえば、これも怪しい。そもそも、地方の商店は東京のコンビニエンスストアほど品揃えもよくありませんから、東京から来るトレーナーたちはコンビニでおにぎりやパンを買い込んでから来る人も多いです」

断言するけど、人が訪問しているのに経済効果にならないとしたら、それは受け入れ側の問題です。
なぜ「おにぎりやパンを買い込んでから来る」のか、考えてみたことはあるのでしょうか。店がないからです。あるいはあることがわからないからです。出かける前に現地の飲食事情がわからないから、予防的に買い込んでいくだけのことです。どっちに責任があるのか。

そもそもインタビューする側もされる側もポケモンGOやってないはず。
やってる人ならわかると思うけど、大半の地方はポケストップがないので人は来てないはず。もし来てるなら、それはレアなポケモンが出るからです。
じゃあ自分らのエリアではどんなポケモンが出現するのかを発信してるんでしょうか。ツイッターアカウントを用意して、「かくれているポケモン」をキャプチャして「このへんには○○がよく出ますよ」と定期的にツイートすればいい。

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(うちの近所の状況。さすがにこれじゃ誰も来ないけど)

公園とかは毎週ポケモンがシャッフルされるようになったらしいので、レアなポケモンが出るぞってタイミングにはきっとシェアされます。

来てくれた人がお金を落とさない?
この暑さなら凍らせたペットボトルでも冷やした手ぬぐいでも売れます。駅前でおにぎりと冷たいお茶をセットにして500円で売れば買う人は多いはず。
(その際、手にごはん粒がつくとスマホをさわりづらいのでおてふきつけるなり、おにぎりはラップでつつむなりの配慮はしてあげて)

ぼくは城めぐりで全国各地を訪問してきました。そして、できるだけ地元のお店にお金を落としたいと思ってるんだけど、現実としてなかなか悩ましい問題もあります。
たとえばトイレを貸してくれるのがコンビニだけで、だったらトイレだけ借りるのは悪いからとなんか買いますよね。あるいは、ごはんを食べようと思っても店主と常連さんが話し込んでて入りづらいとか。
アウェイ感が強すぎて、もういいやコンビニで(ファミレスチェーン店で)ってなったことは何度もあります。

旅行代理店にも聞いてます。

「バスや飛行機、鉄道のチケットは個人がインターネットで手配するのが当たり前になってきているので、ポケモンGOが大ヒットしたからといって、旅行代理店が活況になることはありませんね。そもそも、ポケモンGOでわざわざ地方に足を運ぼうなどという人はいるのでしょうか。東京の渋谷や秋葉原、新宿などには無数のポケストップがあります。地方に行くよりも、東京のほうがポケモンGOには向いています。逆に地方から渋谷や秋葉原に行く人たちは、増えていると思いますが、こうした人たちも旅行代理店など使いませんし、ホテルに宿泊するのではなく、寝泊まりはネットカフェで十分という人たちが多い。とても、代理店が取り込める層ではありません」(大手旅行代理店関係者)

この方はポケモンGOをやってますね。
都心部のほうがポケストップが多いことをよくわかってらっしゃる。

でもぼくだったらレアなポケモンをゲットしまくるバスツアーが組めないかを考えますけどね。
じっさいにできるかは調べてみないとわからないけど、たとえば朝から晩まで首都圏の公園をまわってポケモンを集めるとか。バスで充電できるようにすれば、ツアー客は集まりそうなものだけど。

ポケモンGOを数日やればわかることとして、電源とWi-Fi、それに暑さ対策が課題なわけです。
だから充電できる場所を用意したり、自由に使えるWi-Fiスポットを用意すればかなり喜ばれます。その上で飲食店だったらルアーモジュールを使えばいい。それだけポケモンGOに理解を示していることを態度で表明すればアウェイ感も薄れるから、待機してポケモンを狩るためにお店に入ってくれますよ。

アニメ系のコンテンツツーリズムもそうだけど、「来てもお金を落とさないから意味がない」ってのはぜったいにいっちゃいけない言葉です。
観光施策って人を呼ぶのがもっともむずかしいことで、それと比べれば来てくれた人にお金を使ってもらうことなんていくらでも工夫できるでしょう。

あとこれは余談になるけど、自分らはどのくらい人数まで呼び込めるのかというキャパもわかっとかないと竹田城みたいになる。
キャパを超えた際にただ禁止にするだけじゃなく、どういうお願いをして、どうやって折り合いをつけていくのかを考え実行することこそが、いちばん問われていて、幸か不幸かほとんどの自治体が対応できてないからこそ、率先して協調していけばいいと思うんだけどね。

そういう意味では鳥取県とか佐賀県は積極的にブームと関係性をつくって乗っかろうとしているし(べつに作品の舞台になるだけがコンテンツツーリズムではない)、ネット上の反響などをチェックするかぎり、ファンにもおおむね受け入れられているように見えます。

アニメにはまちおこしの力なんてないのか

アニメ「ガールズ&パンツァー」(通称「ガルパン」)の舞台となったことでいまも多くのファンが聖地として訪問している茨城県大洗町
ぼくは見てないですけど、近年におけるコンテンツツーリズムの最大の成功事例として紹介されることも多いです。

その「ガルパン」担当プロデューサー、バンダイビジュアルの杉山潔さんのインタビュー。インタビュアーはまつもとあつしさんです。
先に書いておくと、このインタビュー記事はめちゃくちゃおもしろいし、核心をついたやり取りがなされているので、ぜひ全文読んでほしいです。

その上で、ぼくがポイントだと感じたところをおさえると、まずこの作品は当初から大洗町を有名にしたり、観光客であふれるようにするためにつくってないという点です。そもそも大洗に決まったのは偶然だったようですしね。
というか、大洗は「ガルパン」の舞台になる前から県内有数の有名観光地だというのも見逃しちゃいけない点です。

そして成功するかどうかわかんないので経済効果とかはなんにも約束できないし、アテにもしないでくれということを大洗町に正直に伝え、それでも大洗側のキーパーソンである常盤良彦さんは、「面白い事さえできればいいので、我々は経済効果を求める気はまったくない」「これについてはまずごく小さなプロジェクトチームを組みます。気心が知れていて、失敗したら『ごめんね』って言える範囲からスタートします」と協力を約束してくれたそうです。

杉山さんの誠実さ、そして常盤さんの行動力。
もちろん大洗側にまったく期待がないわけじゃなかったと思うけど、こういうのは博打だということをよく理解していて、だからこそ前に進んだわけですよね。
でもじっさい多くのケースでは事前に数字(何人呼び込めるのか?)を約束させられたり、あるいはでまかせの見込み観光客数を持ちだして協力を要請するなんてことがあるんじゃないかな。
けっきょくそういう関係性はもろいのですぐに破綻しますよね。

少しだけ杉山さんの発言を引用します。

 我々は経済効果に変えるためにやるわけではないので、そこは絶対に踏み外さないようにしましょう、と。「コンテンツには必ず終わりが来るので、コンテンツにばかり寄りかかっていると、なくなった途端また元に戻っちゃう。次に皆さんがやったほうが良いことは、いま来てくれているお客さんに“大洗のファン”になってもらうことですよ」と、町長にも直接言っていたんです。

 基本的にわたしは(アニメ)コンテンツでまちおこしとか地域復興はできない、と思っています。なぜかというと、普通に考えればよくわかるんですが、たとえば深夜枠のアニメーションって(放送は)夜中の2時とか3時じゃないですか。視聴者層がものすごくセグメントされています。ほとんど男性のアニメマニアしかいないわけです。

 そういう枠の特性がある上に、視聴率1%取れば成功と言われます。ドラマみたいに10%は要らないわけです。深夜で、視聴率1%で、セグメントされた人たちが見ている作品を、1クール12本・30分放送して影響力があると思いますか?

 ない、と思うんです。よくコンサルの人たちが“コンテンツツーリズム”って言いますが、後付けならわかりますけれど、コンテンツツーリズムを前提に、行政を巻き込むのは(わたしは)すごく反対なんです。

 もう一箇所だけ。

 結果として、移住者が増え、週末ごとにファンがやってきて楽しみ、おカネを使ってくれるということがまちおこしだと言えば、まちおこしだと思いますが……。“興し”という言葉って意図的なものだと思うんです。意志がそこに感じられるんですよね。だからそういう意味では違和感はありますね。

 大洗って、もともと観光地で、ホスピタリティーが高く、年間を通じてイベントが多いんです。いろんな仕掛けをしてお客さんを誘引する努力をしてきた町なので、ガルパン1つに町の命運を委ねる気はないと思います。

 コンテンツツーリズムは狙って結果を出せるのか。出せるとしたらそれは打率でいうと何割なのかってことです。
またそのコンテンツツーリズムも、ありものに乗っかるパターンと、ゼロからつくるパターンがあって、それぞれ難易度がちがうのに、ここを曖昧にしたまま「コンテンツツーリズムの可能性」を主張する人が多いんですよね。

鶏卵問題(鶏が先か卵が先か)でいうなら、受け入れ側の大洗町は観光地としてのホスピタリティがもともとあって、そこに「ガルパン」というきっかけがうまく作用してブームが「持続」したということですね。

ぼくはコンテンツツーリズムというのは結果(事実)を分析し、検証することはできるかもしれないけど、意図的に成功させることはほぼ不可能だと思ってます。
これはクチコミマーケティングのときと同じです。それなりの条件・状況を整えることまでが精一杯で、そこからうまく立ち上がるかは偶然の要素がめちゃくちゃ大きい。そこを隠して、あるいは軽視して語られることが多いです。

だからコンテンツツーリズムに対するぼくのスタンスは、研究対象の「学問」としてはいいけど、実利を求める「マーケティング施策」として扱うのは反対です。

まとめ

アニメに頼るとか、中国人の爆買いに頼るとか、これから数年はオリンピックに頼るなんてのも出てくるだろうけど、そういうのは刹那的なものだし、中長期的にはほとんど貢献できません。
杉山さんの発言にもあったように「コンテンツには必ず終りが来る」ので。

もちろんぜんぶに速攻乗っかっていくという戦略はアリだし、正しいと思います。
最近だと佐賀県はそこを意識して取り組んでいるように見えます。「おそ松さん」が流行れば即効コラボして「さが松り」を開催するとかね。

来た波に乗る、できれば少し増幅できないか考える。これって大変ですけど、自分たちでゼロから考えなくていいというのは利点です。合気道みたいな感じですね。

そういうショートスパンの取り組みを延々つづけるやり方と、ひとつの魅力をじっくり育てて長期的な観光誘致策としていくやり方があるとしたら、後者は「スタービレッジ」としてブランディングに成功した阿智村のようなケースですね。

【公式サイト】スター★ビレッジ 阿智〜日本一の星空の村〜

ぼく自身は後者のケースがもっともっと全国で増えていって、国内旅行の目的地選びに困るような状況が生まれるといいなあと思ってます。

行動を喚起する文章

セミナーで講演する仕事で博多までいったので、そのまま熊本に一泊してきました。
熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城の状況を定期的に訪問してレポートしようと思っていて、いい機会をいただけたので。
東京に戻って、翌日にさっそく書いたレポートがこれです。

ぼくがこうしたレポートを書くときに意識しているのは「現地にいったような気持ちになる文章」ではなく「現地にいきたくなる文章」を書くことです。
なかなか実現できているとはいいがたいんですけど、あくまでも目標はそこにある。もうかれこれ10年近く試行錯誤してるけどまだまだです。

沢木耕太郎を薦められて読んだりもしたけど、たぶんあれはウェブ向きの文章じゃないと思うんですよね。

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 
旅する力―深夜特急ノート (新潮文庫)

旅する力―深夜特急ノート (新潮文庫)

 

いまのところまちがいないなと思うのは「写真のチカラを最大限に活かす」ってことなんだけど、これがなかなかバランスがむずかしくてただきれいな写真を並べればいいってもんでもない。
それこそ「見ただけで満足」になってしまうから。

自分の目で見たいと思うような写真、あるいはそれを紹介する文章がないと人の行動を喚起するまでには至らない。

そういう意味では「食べる」とか「温泉が気持ちいい」とか、体験の紹介はいいですね。現地にいかなきゃ味わえないから。
(まあ最近は全国各地の郷土料理すら都内で食べられたりするので、その貴重さは失われつつあるんだけど)

注目を集めるだけならおもしろい文章を書くだけでいいんだけど(まあそれもめちゃくちゃむずかしいんだけど!)、その先の行動まで促すような文章を書くにはどんな努力をすればいいんですかね。

こういうことを意識して書いてるよって方がいたらぜひお話を伺いたい。というかいろいろ教わりたいです。

歓迎される広告、ウェブメディアのスポンサードの可能性について考える

ぼくが運営している攻城団にメディアスポンサー制度をつくりました。
そのときにいろいろ考えたことをメモしておきます。
感想コメントも聞きたいですけど、さらにこれを発展させて「こんなのやったら」というアドバイスをいただけたらさらにうれしいです(半ばそれを期待して書いています)。

なんとなくの前提

いまのウェブメディアの大半は無料で閲覧できるわけですが、それは広告収入で運営されているからで、利用者にしてみれば「広告はジャマだけど無料で使うからしょうがないか」と、いわば広告主の存在を必要悪みたいにとらえてますよね。

ネイティブアドが「枠」の話だといって、コンテンツに溶けこむように表示しても根本的にはなんにも変わってないです。というか「枠」の話に集約してしまうと「わかりやすいジャマな存在」から「わかりにくいジャマな存在」にシフトするだけで状況はさらに悪化します。

そこからは共感や支持につながるとは思えないんだよね。ぼくとしては広告はあくまでも「最愛」につながる一歩にしたい

もちろんネイティブアドにせよ、コンテンツマーケティングにせよ、コンテクストやTPOを重視して、内容でもって読者の支持を獲得することを考えていて、その有益な内容がただ広告というだけで無視されるという現実を打開するために「なじませ」「溶けこませ」ようとしていることは理解しています。じっさいにはそこまで考えてるのは少数派でしょうけどね。

むかし昔……

ぼくが小学生の頃、ファミコンディスクシステムのゲームで「帰ってきたマリオブラザーズ」というのがあって、それを永谷園がスポンサードしてたんです。
ロード画面に広告が出て、そのおかげでディスクの書換料(=ゲームの価格)が通常より100円安い400円になってました。1988年のことです。
30年近く経ったいまでもおぼえているくらい、子ども心にインパクトがありましたし、永谷園にはそれ以来ずっと好意的な印象を持っています。

あるいは大学時代にハマったスーパーファミコンの「ファミスタ」では球場の看板に「きりり」「午後の紅茶」などキリンビバレッジ(KIRIN)の実在する商品の広告が表示されていました。

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いまではこういうゲーム内広告ってのは当たり前になってますし、とくに看板のようにリアリティを強化するような広告はユーザーにも歓迎されていますが、当時は「うまいなあ」と感心したものです。これは1995年発売ですね。

ゲームというコンテンツを安価で提供するかわりにつつましい感じで宣伝したり(ロード画面はどちみち遊ぶために必要な時間なのでうまいですよね)、リアリティを増してよりおもしろくするために企業の協力を得る(=広告的な座組で実現する)というのは、なにも新しい話ではないんですけど、ウェブの世界でももっと事例が増えていけばいいなと思います。

こういうのは「歓迎される広告」としてうまく共存できるんじゃないかな。

理想的なスポンサード

また理想的なスポンサードのモデルとしては、ディズニーランドのアトラクションのスポンサーとか、オリンピックのスポンサーとかがありますね。
けっして目立って露出しているわけじゃないですけど、気づいたらその会社に対して好意をもつような。

チャンピオンズリーグハイネケンとかもCMは流れるけど、そのCM自体がサッカーファンを想定したものになっているので「こっち側」の感じがすごくしますよね。
あとは過去にも何度か書いてきましたが、ぼくが小学生の頃にセルジオ越後さんが全国をまわって開催していたサッカー教室。あれはコカ・コーラ社がスポンサードしていて、ぼくらは最後にコーラのロゴが描かれた赤いタオルをもらうんだけど、10年以上ボロボロになるまで愛用してたし、いまでもいい思い出です。

メディアがもっと「広告主と利用者を同じ側に立たせる」ために何ができるかを考え、実践することができたら、それはメディアを中心としたエコシステムにまで発展させることができるんじゃないかと思ったりします。

スポンサーを同志として、仲間として紹介することで、「俺たちが愛用してるサイトを支援してるこの会社いいね」と、ポジティブな印象を持ってもらえるようにしたいのです。

そんなこんなで

インターネット広告はいまもどんどん開発・改良されていて、たとえばツイッター広告とかって新しいですよね。
広告クリエイティブに「いいね」したり、RTしたりとリアクションができるのはすごくいい。そもそもブロックできる広告なんてすごい未来感があると思いませんか。

そういうテクノロジー手動の広告の未来にも興味を感じつつ、いまの自分にできることとして、攻城団では「スポンサードによる広告主と利用者との関係性の再構築」にちょっとチャレンジしようと思ってます。

それだけですべてをまかなうには大変かもしれませんけど、広告でも課金でも物販でもなく、企業や利用者による任意の支援(スポンサード)によって運営されるメディアが現実的に可能であること証明できたら、もっとネットが楽しくなるような気がします。
(そして少しだけ浄化されるような気もします)

ウィキペディアは寄付で成り立ってる最強かつ最大の事例ですけど、あそこまでの規模じゃなくても「便利なサイト」や「楽しいメディア」が「なきゃ困る存在」として経済的に自立できたら素敵だと思いませんか。

攻城団のメディアスポンサー制度についてはこちらをご覧ください。アドバイスもぜひお願いします。

自治体の悪ノリPRははたして有効なのか

世の中には「悪評も評のうち」とマジメに考える人が、あるいは「好きの反対は無関心だから知ってもらってたとえネガティブでも反応があったほうが良い」と考える人が少なくなく、それがいわゆる炎上マーケティングの根拠にもなってたりするんだけどはたしてほんとうにそうなんでしょうかね。

東京都西多摩郡にある瑞穂町のPRとして、伊藤大輔さんが観光PR記事を書かれていました。
ぼくはそもそも記事の存在を知らなくて、それを読んだ方が「ひどい」と書かれてるブログがツイッターに流れてきたのを見て知ったんですけど、まあひどい記事かはさておき、なんというか中指立てた感じの記事でした。
(元記事は差し替わってるそうなので、魚拓にリンクしておきます)

こうした自治体のゆるいPR――はっきりいえば、おふざけ・悪ノリPR――はいつからはじまったんでしょうか。

うどん県は2011年から

香川県が要潤さんを起用して「うどん県」のPRをはじめたのが2011年です。

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翌年には大分県が「おんせん県」として商標登録申請して群馬県や静岡県と軽くもめたり、さらに翌年には岡山市が「桃太郎市」に改名するとして(もちろんジョークとしてのちに撤回)PRサイトを公開しました。

自治体 PR 開始年月
香川県 うどん県 2011年10月
大分県 おんせん県 2012年8月
岡山市 桃太郎市 2013年1月

ほかにも別名をつけたわけじゃないけど「おしい!広島県」というキャンペーンもありましたね(2012年3月〜)。
最近はぼくが好きな歴史界隈にもこの手の流れがきていて、滋賀県が石田三成を起用しておもしろPR動画をYouTubeにアップしています。

「すでに記憶は薄れかかってたけど、ぜんぶ見たなあ」という方も多いと思います。

こうしたPR手法を評価する際に、「好き/嫌い」と「有効/無効」はわけて議論すべきですね。
なのでひとまず客観的なデータとして、その前後の観光客の推移を出してみました。出典は観光庁が集計している「観光入込客数」の数字です。

グラフは「日本人・観光目的」かつ「県外・宿泊」を取り出しました。都道府県単位のため、岡山市のかわりに岡山県を入れています(岡山市の数字については後述)。
なお単位はすべて「千人(千人回)」で実人数です。

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  2010年 2011年 2012年 2013年 2014年
香川県 1,147 1,166 1,300 1,264 1,408
大分県 2,758 2,746 2,624 2,604 2,416
岡山県 1,417 1,440 1,409 1,413 1,497
広島県 1,651 1,636 1,804 1,766  
熊本県 2,389 2,428 2,408 2,528 2,427

岡山市については市のサイトに観光統計情報がありました。

こちらは「延べ人数」となっており、基準が異なるため同一の表・グラフに入れていません(単位は「千人」です)。

  2010年 2011年 2012年 2013年 2014年
岡山市     5,313 5,632 5,837

 

効果はあったのか

数字を見るかぎり、「うどん県」は増えてるような気もしますね。
ただこれは「うどん」そのものがテレビ等で紹介される機会が増えたためでしょうね(でもそのブームを起こすきっかけとして「うどん県」PRをはじめたわけだから、正しく効果を発揮しているといえますね)。

Googleトレンドでは2011年以降、きれいに右肩上がりです。

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「うどん県」を打ち出した10月より前から上昇傾向にあるので、「うまくブームに乗っかって加速させた」という解釈のほうが正しいのかもしれないです。

ちなみに映画『UDON』は2006年8月の公開です。

多くの方の予想通り、大きなプラス効果はありません。ただ大きなマイナスもないという点は認識しておくべきですね。
もちろんお金は使ってるわけで、損得でいえば「損した」という評価になるかもしれませんけど、明らかなマイナスを証明できない以上、「お金をドブに捨てた」と断じるのはむずかしいと思います。

他の要因が強すぎるんでしょうね。
たとえば参考として入れた熊本県ですが、「くまモン」の登場は2010年3月です。くまモンかわいいですよね。大好きです。だけど、翌年(2011年3月)開通した九州新幹線のほうが観光客数への影響ははるかに大きいわけです。

ではなぜ、たいして効果が期待できない悪ノリPRは止まらないのか。
これはローリスク・ハイリターンな施策だと認識されているからかもしれません。じっさいのところハイリターンかは微妙ですけどね。少なくともスベったとしても、それで何百通・何百本かのクレームが入ったとしてもダメージはそのくらいで、マスコミでの紹介を考えればお得だと見られてるんでしょうね。
いまだにPRの世界では「広告換算値」がKPIとして使われていますが、たしかに数千万で作成したサイトが、数億円換算の露出になると考えれば手を出す人があらわれつづけるのも納得です。

じゃあまあいいか、無視しとけば。

もやもやするけど、今日はここまで

とは思うものの、いまいち釈然としないもやもや感も残るんですよね。

AIDMA/AISAS、そこから切りだされた「アテンション・エコノミー」的な考え方からすると、たしかに「知ってもらわなきゃ売れない」以上、きっかけはなんであっても「まず知ってもらう」ことは重要です。
でもそれは相手が加点法で評価してくれれば挽回のチャンスがあるけれど、減点法で評価されちゃうと第一印象がマイナスなら永遠にマイナスのままなんだよね。
(そして比較が簡単なネットでは基本的に減点法が主であることはみんな自覚してるはず)

香川県の「うどん県」がうまくいったように見えるのも、もともと「香川=うどん」という共通認識が受け手側にあったことが大きいでしょうし、ほかと比べてもおふざけの方向性が誠実っぽい気もします。マジメにふざけてるというか。

ダメだ、ぜんぜんまとまらん。
数字拾ってグラフを作成したり、もう2時間くらいこの記事にかけてるのでひとまずここまでにします。

瑞穂町、あれでよかったのかね。

 

[追記]
似たような構造の話として、マンガ原作のアニメを実写化(ドラマ化・映画化)する際、見ているのは原作ファンではなく、その向こう側にいるマスだからギャップが生まれるのは当然というのがあります。
原作ファンは「原作ぶち壊しだ!」と怒るけど、未読の人たちにとっては単純にひとつの作品としておもしろいかどうかが問われるので、原作の忠実度合いとか、作り手の原作愛すらどうでもいいと。

なのでとくにエンタメの分野では、不満をのべる人は一定数いることは織り込み済みで、ある程度振り切ったほうがいいんだという考え方もありますね。

いつからマーケティングは嫌われ者になったのか

一昨日、ひさしぶりにマーケティングについての講演をしてきました。
会場がちょっと大学の教室っぽいところで余計な緊張と興奮が襲ってきましたけど、本人的には満足のいく話ができたと思っています。時間はちょびっとオーバーしたけど。

今回は基礎講座という業界新人向けのセミナーだったので、初心者向けの内容を用意したのですが、自分にとっても基本を振り返るいい機会になりました。

たとえば「マーケティングとはなにか」について。
あなたにとって「マーケティングとは○○である」を言語化できますか?

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上記の4つの定義はぼくの歴代の定義です。
数年ごとに再考してアップデートしてるんですけど、過去の自分の定義を読み返すとなんともこっぱずかしいですね。

とくにふたつ目。「利益を最大化」じゃなくて「極大化」なんて、いかにもマーケティングをかじった程度のやつが調子に乗ってドヤってる感じがします。ほんと恥ずかしい。

ここにいろんな人の定義を置いてるので参考にしてください。

マーケティングを体系だって理解しようとするのがまちがい

それにしてもこれからマーケティングをはじめる人は覚えることがいっぱいあるのでほんとうに大変ですよね。
ぼくがマーケティングの仕事についたのは1999年だったから、当時はSEOすら確立してなかったし(fontカラーを背景色と同じにするようなスパム行為は当時からあったね)、リスティング広告なんて存在すらしてなかった。

そもそも「マーケティング」って言葉自体が専門用語として認識されていて、なにやってるのか理解してもらえなかった。まあいまも正確に理解してもらえてるとは思わないけど、みんながマーケティングという言葉に拒否反応を示さず、それこそ「ヒルナンデス!」のワンコーナーになるくらい一般名詞化してきてます。
(「超限定マーケティング」という「クイズ100人に聞きました」のパクリコーナーがあります)

それがいいかどうかはさておき、たかだか15年でこの変化です。

そして、ぼくらの世代が幸せだったのは、SEOにせよリスティング広告にせよアフィリエイトにせよ、出されたものをひとつずつ食べていけば、結果的にいろんな知識を身につけることができたってことです。ムダも多かったけど。
でもいまから勉強する人はすでに膨大なお皿がテーブルの上に並んでいるわけで、これを体系だって理解しようとするとまあ大変。

「思いつくまま書き出してください」ってお願いして、さらにそれを仲間分けしてもらいました。

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多いですよねえ。
そもそもメインディッシュもデザートも同じテーブルに載ってるし、調味料とか調理器具とかレシピ本みたいなのまでごっちゃになってる。

マーケティングを学ぼうとする人が絶望するのは、これをちゃんと分類して体系だって理解しようとするからです。無理だから。

だから「なにをやろうとしているのか」、それは購買行動プロセスのどの部分の課題を解決するものなのかだけを考えたほうがいいです。

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もちろんこれにしてもざっくりしていて、個別の事例では別の場所にプロットされるけど、意識をするならこっち。

  • 自社のマーケティング上の課題はどこにあるのか(なぜ売れないのか)
  • いま目の前にある施策や考え方はその課題を解決できるのか

この連立方程式を解くのが、マーケティングを仕事にするということです。

セミナーで他社の成功事例を聞く際も、代理店の営業を受ける際も、この点をしっかり意識しておけばダマサれなくなるでしょう。
抱えてる課題の異なる企業の事例なんて聞く必要ないのです。

マーケティングの教科書はもう古い

初心者向けのマーケティング本は古い本が多いです。読み継がれてるから名著なわけで、それは当然です。
たとえばぼくがこれまでいろんな人にオススメしてきた恩蔵先生の『マーケティング』(日経文庫)もいまから10年以上前の本です。

マーケティング (日経文庫)

マーケティング (日経文庫)

 

こうした本は基本を学ぶには十分なんですけど、いまの市場環境に沿った内容かというとそうでもありません。たとえば「マーケティングの4P」とか。
どう考えたっていまは「Price」の重要性がほかの3つより大きいです。

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もちろん「ぜんぶ大事」を否定するわけじゃないです。
だけどおしゃれなCMを流したり、かっこいいパッケージにリデザインするよりも「安くしたほうが売れる」という現実も正しく認識すべきですよね。

ちょうど先日、ファーストリテイリングの柳井会長が「ユニクロ」が採用した高級路線を戦略ミスと認め、即座に値下げを実施するとインタビューに答えてましたが、製品(Product)での差別化がいかにむずかしくなっているか、その結果としてわかりやすい価格(Price)の差に消費者が敏感に反応することのひとつの例ですね。

個人的にはこうした状況をいいことだとは思いませんし、過当競争がつづけば最終的にぼくらにそのツケがまわってくるのでむしろ反対の立場ですが、現状認識としては認めざるをえないかなと。

だから何かの施策を考える際には「それって値下げするよりも効果あんの?」って自問しなきゃいけないわけで、でもそんなことは書いてないんです。
こういう補足をくわえた初心者本を誰か書けばいいと思うんですよねえ。

AISASの頃までは変化に対応してたよね

『ホリスティック・コミュニケーション』で電通の杉山さん、秋山さんが「AISAS」を提唱したのが2004年ですが、この頃って「マーケティングも変わらなきゃ、いまの環境に対応しなきゃ」って空気がありましたよね。

ホリスティック・コミュニケーション

ホリスティック・コミュニケーション

 

ネットの普及によって、従来の「AIDMA」だけでは説明つかない購買行動が見られるから、新しいモデルで捉え直してみようと。

セミナーではこういう話をしました。

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だけどこの10年はすぐに枝葉の話になっちゃって、全体的な――まさにホリスティックな――話は起きてません。消費者の趣味嗜好が細分化したのでむずかしくなったということかもしれないけど、ほんとうにそうなんですかね。

インバウンド・マーケティング」はいいとこついてると感じたんだけど、それが似て非なる「コンテンツ・マーケティング」に言い換えられていったように、ぼくたちマーケティングに携わる人間が「消費者を理解する」というむずかしくてめんどくさい話から逃げて、「○○をやればウハウハ」という楽な手段の話にばっかり群れちゃってるんじゃないかな。

たとえば「検索しない消費者」とか、AISASでも説明つかない購買行動って生まれてますよね。あるいは「購買欲そのものが低い消費者」とか。
彼らがモノを買うときにどういうステップを踏むのか、ぼくたち自身の行動も振り返ってみて整理すると有意義だと思うんだけど。

電通が出してきた「SIPS」はこのへんを説明しようとしてた気もしますが、いまいちしっくりこなかったので定着しませんでしたね。

じゃあお前がやれよというのはそのとおりなので、ぼくもいろいろ考えてはいるんです。
企業がお客さんと持続的で良好な関係を築くことができれば、他社・他製品と比較検討されることなく買ってもらえるのでそのぶん利益が生まれて、その利益をさらなる関係性の強化にまわせるんじゃないか、とか。

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これは新しいモデルではなくて、購買行動プロセスというものがそもそも他社との競争下にあることを前提としているので、そこからいかに逃れるかを考えてるんですけどね。

マーケティング≒スパム、マーケティング≒不誠実になっている現実

マーケティングが専門用語でなくなったのと同時に、否定的なイメージで語られることが増えましたよね。

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セス・ゴーディンが「マーケティングの大半は、じつはスパムだ」と喝破したのは1999年ですけど、当時はリターゲティング広告もソーシャルメディアもなかったし、プッシュ通知もありませんでした。
状況としてはどんどん悪化しています(メールについてはSPAMフィルタ機能の進化によって当時よりは改善されてるかもしれない)。

そして上述したように「価格」に敏感な消費者に選ばれるために企業はいろんな施策に取り組んでいます。

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仕事である以上、結果を出さなきゃいけない以上、気持ちはよくわかるんですけどね。
売上を伸ばしつつ、利益も出そうと思ったら、どこかにしわ寄せがいくわけで、新規顧客を優遇すれば、既存顧客はないがしろになっちゃいます。

それでいいんだっけ?

目先の売上を求めるあまり、何かを失ってないですか。

そりゃこんなことをつづけてたら、マーケティングにいい印象を持たれないはずですよ。

マーケティングの汚名返上をしなきゃいけない

これもマーケティングの教科書にはかならず載ってる「じょうごモデル(マーケティングファネル)」ですけど、これって迷惑がられることを前提にしてますよね。

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みんなが「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」で乱射してて、こんなに迷惑な話はありませんよね。

かつてぼくが「入荷お知らせメール」を考案したとき、多くの方はすすんで登録してくれたし、とても喜ばれました。
同じように大量のメールを送っているのに反応がぜんぜんちがうんですよね。

マーケティングはもっと喜ばれるものでなきゃいけません。

少なくとも「べつになくてもいいけど、ないよりはあったほうがいい」くらいの位置まで地位を回復したいものです。

ぼくはセミナーのまとめとして「Webマーケティングの本質はインターネットの力を味方につけることです」と書きました。

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ぼくたち自身もひとりの消費者である以上、自分が生きるこの世界をいまより少しでもマシにするためにひとり一人が浄化の意識を持ちたいし、スパムだらけの世の中だからこそ「スパムやめたっ!」って企業がちゃんと評価されたらいいですよね。

マーケティングを嫌われ者にしちゃかわいそうですよ。

 

 

[追記]
似たようなことをだいぶ前に書いてた……(ぼくの3時間がorz)。

[さらに追記]
90分のセミナーの内容を部分的に抜き出してるだけなので、言葉が足りてないところはあるかと思います。
時間があれば「最愛戦略」について講演した際のスライドもあわせてご覧ください。

とはいえPV以外は話ができる状況にすらない

新年おめでとうございます。

あいかわらず年賀状を出さないまま2016年を迎えてしまいましたが、送ってくださったみなさんほんとうにありがとうございます。
中学のときに年賀状なんて意味ないだろうと思ってやめちゃったんだけど、最近は「今年は出そう」と思いつつ出せてないんだよねえ。来年こそは。
というかいまこそ自作を楽しめるプリントゴッコほしいんだけどなあ。

さて。

年初からこの話題。

もう何年も前から「PVに代わる何か」をかなりの人が求めていて、メディア側は「PVだけで比べられたくない」と思い、広告主側は「PVなんて広告が『ちゃんと見られているか』の指標として適切じゃないだろう」と思ってるんです。
読者不在の議論ではあるけど、まあそんなもんです。

個人的にもPVはテレビにおける視聴率よりも雑な数字だと思ってます。
その視聴率ですら録画視聴やワンセグ視聴など計測対象外の比率が高まり、さらにむかしから「(CMの時間は)トイレいってて犬しか見てない」といわれるように広告主側にとって不利な(割高な)数字だと指摘されてきてるんだから、PVが議論の対象になるのは当然といえば当然です。

でも「PVに代わる何か」はなかなか定着しませんね。

なぜPV以外の指標が使われないのか

現実的に、PVでしか複数のサイトを比較できないというのが大きいのかな。
各メディアが滞在時間とかアクティブユーザーとか出せばいいけどそうなってないし(もっとも滞在時間もアクティブユーザーも定義がバラバラだと比較できないけど)。

攻城団なんてGoogleアナリティクスの「平均セッション時間」が6:20もあるからアピールしたいところだけど、ほかのサイトの数字がわかんないのであんまりすごさが伝わんないというのがあります。

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これだけGAを導入してるサイトが多いのに、PVしか公開しないというのはとても残念。

あと「PV以外を公開したい」サイトがどうしても2番手以下ばかりだというのがあるよね。ようするに1番が出さないから基準として使われにくい。
でもそりゃそうですよ、1番は「量」で勝負したほうが楽に勝てるんだもの。「平均」なんて出すと負けるかもしれないんだから出すわけがない。

あとはメディア側がもってる数字でいちばん大きいのがPVだからというのもありますね(ドヤ感が出しやすい)。
この点は2番手以下のサイトにもいえることだから彼らも「PVを出さない」とはならない。

たぶんPVの呪縛からメディア側も広告主側も逃れられているのって、アフィリエイトくらいじゃないかな。
でもみんなが成果報酬にいっちゃうと広告やマーケティングの役割なんてなくなっちゃうしね。

1PVの価値が同じじゃないのはみんなわかってる

たとえば「続きを読む」で何ページにも分割されてたり、逆に無限スクロールみたいに遷移なしに次々にコンテンツが読めたり、同じ1PVでもそこで得てる情報量や、費やす時間はイコールじゃありません。

そんなことはみんなわかってるのに変わらない。
たとえば「10秒以内に直帰したPVはカウントしない」というのも、そもそも直帰した場合は滞在時間が取得できないから(ほとんどのアクセス解析は次のページの取得時間との差をとってる、よね?)計測すらできない。

たぶん指標をつくるんじゃなく、その指標を正しく計測できるアクセス解析ツールをつくるというところからやんないとダメだよね。

エンゲージメントとか、どうやって計測するんだよみたいなのはいくら響きが良くても定着しない。

で、それがGoogleに買収されて、GAに標準搭載されてはじめて世界が変わる。

とか考えてたら(無理ゲーではないけど)道は遠いね。

とりあえず今年もメディアが追いかけるべき正しい数字とか、広告出稿判断における妥当な指標について、いろいろ考えていきたいなあと思ってるので、2016年もよろしくお願いいたします。

あけおめことよろ。

年末なので「Decade」を更新しました(来年の厄年早見表つき!)

年末ですね。

毎年恒例にしてる1年間の振り返りをしました。
といっても今年はなんかバタバタしてる間に終わっちゃった感じがすごいです。去年の末に二度目の上京(と就職)をして、でも半年ちょっとで辞めることになって、けっきょく夏からは毎日あれやこれやとやることはあったものの、気づけばもう年末でしたね。

ぼくが32歳のときから毎年更新をしている「Decade」というファイルがあります。

社会人になって10年目ということで「Decade」という名前をつけたのですが、今年で9回目の更新です。来年は2周目ということになりますね。
そもそもはセミナーで自己紹介をするためにつくったスライドだったので、こんなに更新しつづけるつもりはなかったんだけど、なんとなく習慣というか恒例行事になっちゃいました。

そんなわけで最新版です。

ま、今年はいろいろあったわりには話せないこと、話してもあんまりおもしろくないことが多くて、ほとんどページは追加してません。「会社辞めた」「まんがseek復活した」「攻城団がんばってる」くらいです。
そのときどきの感情を吐露したポエムも書かなくなっちゃったので、引用するような日記もなかったんですよね。

せいぜいこのへんかな。

そういう意味では喜怒哀楽の原因になるようなこともなくはなかったんだけど、(とくに下半期は家にいることが多かったので)けっこう平穏な日々を過ごしてたから書くことなかっただけかも。

むしろ来年かなと思ってます。
こうやって毎年その一年にあったことを要約してまとめておくと、あとから確認するのはすごく楽なんですよね。何年になにをやったかがすぐわかるので。

来年は2008年に匹敵するくらい激動の一年になるかもなーと思ってます。
2008年は『そんなんじゃクチコミしないよ。』って本を出して、crossreviewを立ち上げて、mixbeatをはじめた年です。攻城団のルーツでもある趣味としての城めぐりをはじめたのもこの年でした。

いまから思うと、狂ってるとしか思えないくらいいろんなことに手を出してます。
あんまりがんばりすぎたのでストレス性の腰痛がえらいことになったんだけど。

さすがにもう腰痛になるほど無理はしないけど、そろそろぼくも刹那的にあれこれ手を出してやり過ごすんじゃなく、10年20年先を見すえて行動していきたいなあと。そのためにがんばるのは必要なことだし、むしろがんばりたい。

といっても来年まだ後厄だし、なんとかうまくやり過ごして(というかすでに本厄でえらい目にあっとるけど)、余生を楽しく、そしてちょっとくらいは世の中のためになるようなことをして過ごしていきたいものですね。

たとえば「まんがseek」でずっと探してたマンガが見つかったとか、たとえば「攻城団」で一生楽しめそうな趣味ができたとか、そういう声が届くたびにやってよかったなと思うし、そういう人をもう少しだけ増やせるといいな。

みなさんの今年一年はどうでしたか? 来年もいい一年になるように、最後の一週間で心と身体の準備をしておきたいですね。

以下、おまけとして厄年早見表です。チェキラッ。

来年の厄年だよ(みんなでやり過ごそう!)

2016年(平成28年)の厄年早見表です。科学的な根拠ゼロですけど、とくに男性は身体的にガタがきやすい年齢に入りますし、人間関係的にもちょうど成熟してきて白黒はっきりしはじめたりする時期なので、おおごとにならないように慎重にやり過ごしてくださいね。

2016年(平成28年)の男性の厄年

前厄本厄後厄
1993年(平成5年)生まれ 1992年(平成4年)生まれ 1991年(平成3年)生まれ
1976年(昭和51年)生まれ 1975年(昭和50年)生まれ 1974年(昭和49年)生まれ
1957年(昭和32年)生まれ 1956年(昭和31年)生まれ 1955年(昭和30年)生まれ

2016年(平成28年)の女性の厄年

前厄本厄後厄
1999年(平成11年)生まれ 1998年(平成10年)生まれ 1997年(平成9年)生まれ
1985年(昭和60年)生まれ 1984年(昭和59年)生まれ 1983年(昭和58年)生まれ
1981年(昭和56年)生まれ 1980年(昭和55年)生まれ 1979年(昭和54年)生まれ
1957年(昭和32年)生まれ 1956年(昭和31年)生まれ 1955年(昭和30年)生まれ

検索プログラムのデフォルトのソート順はどうするべきか

検索のプログラムはむずかしいですよね。

そもそも「ヒット精度のチューニング」が大変です。利用者が検索に使用するキーワードはけっこう表記の揺れがありますので、誤表記に対応したり旧字に対応したり、あるいはtypo(打ちまちがい)に対応しようとするとかなりの手間がかかります。

たとえば「手塚治虫」の「塚」の字は本来はテンがある「塚」ですが、ふつうに変換するとテンなしで表示されるので、両方ともヒットさせなきゃいけません。
ほかにも「赤塚不二夫」の場合、「藤子不二雄」とごっちゃになって、「赤塚不二雄」で検索する人がいるかもしれません。じゃあこれでもヒットするようにしておくか、パソコンやスマホで変換してればこういう表記にはならないから無視していいか、ちょっと悩みます。

じつは「まんがseek」でも「攻城団」でも、こうした表記の揺れを吸収するためにデータベースに「検索キー」という欄を用意して、いくつかの候補を保存しています。
ただこれってあんまり増やしすぎるとなんでもかんでもヒットしちゃうので、検索結果にノイズが増えるというジレンマがあります。

で、より重要になってくるのがソート(並び順)になるわけです。

デフォルトのソート順はどうするべきか

正解はサイトごとにちがうはずですが、サイトのカテゴリーによってある程度は決まるのかもしれません。

ECサイトなら「売れてる順」でしょうか。でもこれは新発売の商品が不利になりますね。「一定期間内に売れた個数(あるいは注文者数)の多い順」にするとちょっとはましになるかもしれません。さらに新商品の場合はちょっとだけゲタをはかせる(10個くらい売れたことにする)と有利不利も是正されるかもしれません。

じゃあ飲食店の検索とか、「攻城団」のようにお城の検索だとどうでしょうか。
スマホでの検索の場合は、「現在地から近い順」というのは悪くないかもしれませんが、いち利用者として考えると(値段が大差ないなら)100m以内にあるいまいちな店よりも、300m先にあるうまい店のほうがいいわけで、単純に距離順に出すのはまずそうです。

コンジョイント分析などをもとにして、スコア化するというのもいいですね。
しかもユーザー登録すれば許容できる距離とか、優先したい項目(たとえばコスパとか、テーブルの広さとか)に重み付けできたらなおいいかもしれません。

でも考えたいのはデフォルトのソート順です。
ユーザー登録とかはここでは考慮しないことにします。

ソートは提案

あるキーワードで候補が10件見つかった場合、それをどの順番で表示するべきか。

じつは「攻城団」ではぼくが個々のお城におもいっきり主観で割り振った「知名度」という数字を元に並べています。

知名度は10段階で、「姫路城」のようにほとんどの人が知ってるお城には10点を、天守はあるけど史実に基づかないなんちゃっての場合は6点、Wikipediaにも載ってないようなマイナーなお城には4点、といった感じである程度の基準を定めつつ、ぼくの感覚で微調整してつけています。

一度つけたらそのまんまじゃなく、ニュースで話題になったり、ドラマやマンガに登場したら修正を加えています。
たとえば雲海で有名になった竹田城は当初「7」でしたが、現在は「9」になってます。

これは個人的にはちょっとした発見でした。
ソートに使う適切なデータがないならつくっちゃえばいいと。けっきょく検索する方は(確率的には)メジャーなお城をさがしていることが多いわけですしね。

ソートというのは「あなたが探しているのはこれですよね?」という提案なので、それに近づくためにもっとも有効なデータはなにか考えることが大事です。

ただこれはお城のように数が比較的少ないからこそできるのも事実です。
ラーメン屋で同じことをやるのはさすがにむりでしょうしね。

知名度だけじゃダメだった

でもこれでは不完全でした。
上述したとおり、これはあくまでも「確率的に」妥当性を高めているだけで、過半数くらいの方のニーズを見たせているものの(ID順のように無意味なデータでソートするよりはるかにいいですし、過半数を満たせてるならそれで十分という考えもありますが)、もうちょっと改善の必要があるなと思ってました。

というか自分で使ってて不満があったのです。

結論をいえば、検索キーワードと完全一致したデータがあれば、ほかのものより(攻城団の場合でいうと知名度で負けていても)優先的に表示するようにしました。

以下のキャプチャは今回修正したあとの検索結果の画面です。

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2番目に表示されている鹿児島県松山城Wikipediaにもページがないお城で、知名度的には「4」となっています。
だから通常ならもっと下に表示されるのですが、検索キーワードと同じ名前ということで上位表示しています。

仕組みとしては裏側で検索する回数を1回増やしているので(完全一致のデータがあるかという検索が増えた)、負荷は前よりかかってるんですけど、それでも得られる成果と比べれば軽微なものだと判断しました。

細かいことは攻城団のほうのブログに書いています。

検索してヒットしないと利用者からは「データがない」と思われてしまうため、どうしても「より多くヒットさせる」方向で考えてしまいます。
これはしょうがないですよね。

そうして網を広げて、たくさんのデータがヒットした場合に、利用者がほんとうに探していたもの、見つけたかったものをいかに返してあげられるかは、それこそGoogleが何度も試行錯誤を重ねながら、人もお金もいっぱい使って取り組んでることで、ぼくらがちょこちょこっとやったところでたかが知れています。

でも「攻城団」ならお城、「まんがseek」ならマンガといった感じで、検索対象のデータがあるテーマに絞られていて、それなりに構造化されているというのはGoogleよりも恵まれた条件です。

小手先の対応でもけっこう便利に改善できるかもしれないなあと今回思いました。
またなにか思いついたら試してみます。

ほかにもいいアイデアがあればぜひ教えてください!

ぼくらはいつまでログインにメールアドレスを使うのか

少し前にAmazonがメールアドレスなしでも登録・購入できるようにしたという記事がありましたが、たしかにLINEなどのメッセンジャー系アプリの利用が増えて、相対的にメールの利用頻度が下がっている中で、いつまでメールアドレスをログインキーに使うのかという課題はありますね。

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そもそも迷惑メールが増える中、過度なスパムフィルタの設定によりサービス運営者からのメールが届かないケースが頻出しているのも無視できません。
くわえてメールアドレスって迷惑メール対策だけじゃなく、MNPなどのタイミングでも変わるので(でもサービス側にはなかなか変更を教えてもらえない)、最初は届いてたけど、ある日いきなり届かなくなっちゃうこともありますね。

ソーシャルメディアでの情報受信がわりと一般的になったいま、メールマガジンやメールニュースといったメールによる企業からのお知らせは極論なくしてもいいんだけど(もちろんマーケティング的な観点でいえば、「確実に届く」ことを前提にするなら、ソーシャルメディアよりもはるかに効果的で有用な手段ですけどね)、問題となるのはパスワードの再発行だったり、メンテナンス等によるサービス停止のお知らせだったりをどうやって伝えるかです。

アプリを配布してアプリ経由でやるか、ツイッターのDMやLINE@などをつかってやるか、検討に値する手段はいくつか思い浮かびますが、幅広い年齢層を対象にするとなると、どれも全ユーザーをカバーしきれないので採用には至りません。
(たとえばスマホを持ってないユーザーもいますよね)

このように「メールは届かないことがある(それは昔より増えている)」ということと、とはいえ「メールより利用率が高いツールはいまのところない」というふたつの事実を踏まえた上で、どうしていけばいいのかを考えなくちゃいけません。

というか、自分がおもいっきり直面したのでけっこう悩みました。

攻城団の場合

攻城団ではこれまで招待制(登録の申請をもらって、ぼくが招待メールを送っていた)を採用していたのですが、それをやめることにしました。

kojodan.jp

わざわざ手間のかかる方法を採用していたのは上記の告知にも書きましたが、捨てアカウントを減らしたかったということと、メールが届くかどうかの確認をしたかったからです。
ただ結果として、これをやめることにしたのは、「そもそもの招待メールが届かない」というケースが増えてきたからです。
(おそらく発生率はそれほど変わってなくて、利用希望者が増えたために実数が増えている)

なかには「招待メールが来ないんですけど」ってメールをいただくことがありますが、招待メールが受け取れてない以上、問い合わせに返信しても(もちろん返信してます)届いてないと思われます。
けっきょくなにもできないままお互いが諦めるということがつづいています。

もっともこれは、こちら側の問い合わせ先として電話番号を載せれば少しは解決します。
ただ(法人化を視野に入れて動いているとはいえ)決まった曜日、決まった時間に問い合わせの電話を開けるというのはなかなかハードルが高いことです。
いつかはやりたいと思いつつ、まだその余裕はないです。

だからよくある即時登録型に変更することに決めました。
この判断はけっこう迷いました。じっさい最初のメールをぼくから送るということにはたんに登録のハードルを上げるだけじゃなく、その後なにか困ったときにメールで質問しやすくなるという心理的作用なども考えてのことだったのですが、そもそも届かないんじゃ意味ないですしね。

とはいえパスワード再発行のためにメールアドレスはもらわないといけないので、ユーザーDBにメールアドレス確認済みフラグを用意して、登録フローとは別にメールの受信確認フローを用意しました。

余談ですけど、パスワードの再発行に電話を使うというのは一部のショッピングサイトやクレジットカードの会員サイトなどで採用されていて、あれはメールよりも普及率が高い手段だからいつかやれたらいいなあと思ってます。

「メールアドレスなんて、ただの記憶しやすい文字列にすぎない」のか、「貴重なコミュニケーションチャネル」なのかは、なかなかむずかしいところです。
利用者としてはウザいメールをやたら送られるのはかんべんしてほしいので、できれば預けたくないというのが本音でしょうけど、とはいえパスワード再発行ができないのも困るし。

この件についてはたぶん今後も何度か試行錯誤をするかなあ。

ぼくらはメールアドレスから解放される日が来るのでしょうか。

[追記]
メールアドレスをログインに使わずにすむ手段として、外部サービスのシングルサインオンを利用するというのもありますね。これならパスワード再発行なども(こちら側では)不要になります。
ただまあとくに攻城団のような年配の方も利用するサービスの場合、ツイッター等のアカウントを持ってないことも少なくないですし、アカウント連携も「なんか怖い」と思われるでしょうから開発していた頃から頭にはあったけど、採用することはないでしょうね。

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり