いまさっき思ったこと

あとで読み返したときになにかが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど、それはそれでいい

ネイティブアドの広告表記に「PR」はアリなのかナシなのか

電通パブリックリレーションズの細川さん(WOMマーケティング協議会事務局長もなさってます)がITmedia マーケティングに書かれている記事で、ネイティブアドの広告表記で「PR」はないんじゃないのと書かれてます。

まったくそのとおりで、ぼくも「広告」「AD」と「PR」が並列に置かれるのはしっくりこないと思ってました。
ほかにも紙メディアでよく見るのが「提供」や「協力」というクレジットですかね。このへんも「あわよくばやりすごそう」という不誠実なにおいがする。

ようするにお金を主とした(お金以外の利益供与のこともあるから限定しない書き方をしますけど基本的には広告費のことです)やり取りがあることを示すのが広告表示で、同時にそれはただ書けばいいってもんじゃなく、読者にわかるように伝えなきゃいけないわけですから、そこに「気づかれなきゃラッキー」的な発想は含まれちゃいけない。

このへん、そのうち整理したいなと思ってたところです。

文句なしにOKな表示 「広告」「AD」「広告企画」
判断がわかれそうな表示 「提供」「タイアップ」
微妙で不誠実な表示 「PR」「協力」「コラボ記事」「企画」

「広告」って入ってたら見てもらえなくなる、ネガティブなバイアスがかかってしまう、という危惧はよくわかるんですけど、見た目がほかのコンテンツと区別しづらいネイティブアドでそれやっちゃったら致命的だと思うんですよね。

ぼくは広告のチカラを信じたいし、広告費がまわるからつくれるクオリティのコンテンツがあると思うし、そういうのは読みたいけどなあ。

コンテンツ内に自社の宣伝色を抑え、本来の意味での「スポンサード」をしたら(「世界の車窓から」と富士通みたいに)、その企業の好意度はきっと上がるはずです。
もちろん間接的になるので広告主側の評価がむずかしくなるんだけどね。

そもそも「PR」にしたからといって閲覧者数や読了率が大きく変わるとは思えないんだけど、ここはぜひ調査してもらいたいところ。

ネイティブアドの評価指標で重視するのはブランドリフト、クリックスルー、ソーシャルメディアでの拡散

ウォール・ストリート・ジャーナル』にネイティブアドの評価指標についての記事がありました。

eMarketerによれば、USでのネイティブアドに投下される予算は増加すると予測されていて、BuzzFeedのような新興メディアだけでなく、New York Times や The Wall Street Journa といったメジャー紙も参入しているという現状を伝えています。
 
その一方で、ネイティブアドを用いた施策をどう評価するのかについてはアメリカでも試行錯誤中みたいです。
ANA(全米広告主協会)の調査結果が引用されていましたが、主要な指標として「ブランドリフト(17%)」「クリックスルー(15%)」「ソーシャルメディアでの拡散(15%)」が挙げられていました。
 

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(2014 ANA Native Advertising Survey Data Chartsの項目名を和訳)
 
たぶんこのへんは日本でも同じような結果になりそうな気がします。
 
その一方で(ブランドリフトが重要視されるのはよくわかるのですが)、こないだも話してたんですけど、そもそもメディアと読者がこれまでに築いてきた関係性を前提にメッセージを届けていく広告商品であるネイティブアドにおいて「ソーシャルメディアでの拡散」が問われるというのは本質的に矛盾しているような気もしなくはないです。
結果としてふだんの読者以外に届いてしまうわけで、彼らとはメディアとの関係性が希薄なわけですから(場合によっては初めての人もいるかもしれません)、いろんな前提を共有しないまま広告コンテンツを見せることになります。
 
このあたりは「ネイティブアドにできること」と「ネイティブアドに求めること」がいまいちすりあっていないことが原因なのだと思うので、今後いろいろと(成功も失敗も)事例が共有されていって、手法としてのネイティブアドの効果的な使い方が定着していけば、ミスマッチが減っていくのかもしれませんね。

支持率の数値化(最愛戦略の指標選びとしてのNPS)

最愛戦略について話をすると、だいたいの方には共感や賛同といったポジティブなリアクションをいただきます。

で、「うちはどうすればいい?」という質問に対しては、こないだ書いたように「いまいるお客さんが支持してくださってるポイント」を明らかにして、そこにできるだけ多くの予算を配分して強化していくのが答えです。
 
難解なのは「どうやって支持されてるポイントを発見するのか」と「どうやって施策が(最愛というゴールに向かって)前進しているか、あるいは後退しているかを把握するのか」という問題です。
 
もちろん売上が伸びているとか、リピート率が上がっている、新規顧客が増えているといった数字には影響が出るはずだし、そこはチェックポイントのひとつではあるけれど、結果だけに着目してしまうのは危険なことです。
(いいかえればお客さんの信頼を損ねていいなら、売上を伸ばす策の選択肢は一気に増えます)
 
また売上に目立った変化が生じる前に、その予兆として現れる数字を見つけないと、せっかく好転しはじめているのに施策をやめてしまうこともありますよね。
だから売上以外にそれなりの確度の数字がほしいのです。
 

ぶっちゃけ支持率の数値化はむずかしい

だからプロセスにおいて、なんらか「支持率」を測る指標が必要で、これまでアクセス解析の数字(訪問頻度や滞在時間)をゴニョゴニョして出そうとしてきたんだけど、これがなかなか悩ましくて。
  • 訪問頻度が高いほど支持率は高いといえるのか
  • その場合、何回以上訪問すると「支持者」と捉えていいのか
  • 毎日訪問するけど、一度も購入したことがない人をどう評価すべきか
たとえば「20回以上訪問してくださったユーザー」を「常連」と位置づけて、訪問者全体における常連の割合や実数の推移を測ることで、常連の期待を裏切ってない、信頼を損ねていないという状態がある程度わかるかなと思ってきたけど、スマホでの閲覧率が高まり、ソーシャルメディア経由の訪問がかなりの割合を占めるようになると、全体的な傾向としては「細切れな訪問」――つまり直帰や数ページだけ閲覧するセッション――が増え、その一方で同じ日に同じ人が何度も訪問したりするため、訪問回数や訪問深度(訪問あたりPV)などでユーザーの状態を把握することがむずかしくなってきています。
 
スマホソーシャルメディアが出てくる前からその傾向はあったんだけど(それこそ滞在時間が長い=サイト動線が悪くて使いづらいとか)、このふたつがもたらした変化とは、アクセス解析を読み解くむずかしさが増したことだよね。
アクセス解析だけじゃなくRFM分析とかも解釈をアップデートしていかないといけない)
 
支持率の数値化というのは最愛戦略における最大の課題で、個人的には「(自分がやってほしい、を起点に考えた)正しいと思うことをやってれば、測定するコストがムダなので、売上推移だけ見てればいいんじゃないか」と思うものの、そんなふうに割り切れる状況はめったにないので施策実行の意思決定のためにも、継続可否の判断のためにも数値化は必要になってきます。
 

NPSがあったっけ

で、そういえばNPSってあったじゃないかと、今回会社でアンケートを実施するにあたって復習してみたら、これで十分な気もしました。
けっこう長くなったので、マーケティングis.jpにずいぶんひさしぶりに投稿してみたのがこちら。NPSとはなんぞやってことから書いてるので、よくわかんない方はぜひ。

顧客満足度は減点法で評価される傾向にあるので、フリーアンサーにも不満点が書かれることが多いです。もちろんこうした意見は貴重なのですが、結果的に欠点をなくす方向の改善がなされがちで、これは最安戦略や最高戦略を採用していたり、あるいはナンバーワン企業が2位以下の競合企業が繰り出すすべての施策をカウンターで相殺していく場合には有効なんですけど、そうじゃない企業の場合は限界が生じやすい。
また、減点法で高評価する人は論理的な判断をする人でもあるので、他社へのスイッチが少なくないともいえるから、必ずしも支持者とはいえないという問題もあります。
 
一方でNPSの場合はどちらかというと加点法での評価であり、誰かに薦めるに値するという評価は本人に責任を伴うものだから(薦めといて自分はとっととスイッチすることは考えづらい)、少なくとも満足度調査よりは支持者を把握することができる。
 
ちなみに最愛状態になるとどんなことが起きるかについては経験上知っていて、たとえばお客さんからの提案が増えるとか、メルマガなどで意見を募集した際に多くの回答が寄せられるといったものがあります。
あるいは定期的に発行していたメルマガが配信されなかったりすると「楽しみにしてるんですけどちゃんと受け取れなかったみたいなので再送をお願いします」なんてメールが届いたり(「こっちが遅れてただけです、ごめんなさい」って返事したことも)。
ほかにもソーシャルメディア上に好意的なコメントが増えるというのもありますね。
 
ちょっと前の記事ですが、ビービット遠藤さんが書かれた記事にNPSが高い(推奨者が批判者を大きく上回っている)企業には以下のような影響があらわれるとありました。
Repurchase(再購入)
初回の購入にとどまらず再度購入してくれる、あるいは購入してくれる頻度が高まる。
 
Buy additional lines(一度に買う量が増えること)
例えば、オプション製品の購入やアップセルにつながりやすい。
 
Refer others(クチコミ)
推奨者が「いいよ」と勧めれば買う気になり、批判者が「よくない」というと買う気がなくなる。近年、ソーシャルメディアの台頭によって、より重視されるようになってきている。
 
Provide constructive feedback(高い価値を感じている、推奨者からの建設的なフィードバック)
プロダクト開発やサービス改善にも応用できる。また、働いている人たちのモチベーション向上にもつながり、組織全体をパワーアップさせる。
 

まさに、ですね。
正しい母集団に正しく調査する、という前提を守ればNPSは支持率を測る指標として十分使えるんじゃないかと思いました。

とはいえNPSの調査を毎週やるわけにもいかないので(小さなサンプルに対して聞いていくというのはあるかもしれないけど)、たとえば年に1回〜四半期に1回くらいはNPSで現状を把握しつつ、週次や月次においてはやっぱり訪問頻度や滞在時間などの数字をゴニョゴニョしていくしかないんですけどね。
ここはいろんな人といっしょに考えていけるといいなと思ってます(興味がある人はぜひご連絡ください)。
 
ちなみにリンクした記事ではアメリカのNPS調査の一覧も引用したんですけど、AmazonAppleは70を超えてて(NPSは-100から100の間)、まったくもってすごいなと。日本にそんな企業あるかなあ。むかしのソニーとかは70超えてただろうけど。

ネイティブアドのKPIはシェア数でいいのか(広告の目的と効果指標)

昨日書いたイベントレポートへの反響を読んでて。
(こんなふうに反応をいただくのは牧歌的な時代のブログみたいでうれしい)

これが大事と言われればそうだろうと思うけれど、これって、広告の作品化の亜種ではないか?
「賞を取るような広告より売れる広告を!」的な事を聴くことがあるが、そのうち「バズる広告より売れる広告を」なんて言われるようになるのかしらん。

「バズる」ことが目的化しちゃったときに広告の役割や効果はどうなるんだって懸念は生まれて当然だし、ぼく自身かなり強く感じてます。
「広告の作品化」についてはもう何年も前から議論されてますし、ぼくのスタンスとしてもむかしブログに書いたけど、広告を作品と呼んだり、賞をとることが目的化しちゃうことに対してはめちゃくちゃ懐疑的です。

ただあれから年月を経て、ちょっとだけ考えをあらためたところがあるとすれば、広告の目的には直接的な売上アップだけじゃなく、いろいろあるということを踏まえるべきで、そのいくつかある目的のひとつとして「広告賞を受賞する」ということもあるんだろうということです。

広告の目的にはもちろん認知拡大や、興味・需要喚起など直接的な売り上げ貢献があり、いうまでもなくこれが主流です。
ただ、たとえば購入者満足度を高める(自分の選択がまちがってなかったと実感してもらう)ためのロイヤルティ向上を目的とした広告や、流通対策(コンビニ等での棚を確保するため)の間接的な売り上げ貢献(営業支援)も目的とした広告もあります。

UNIQLOCKを思い出した

数年前にユニクロUNIQLOCKってブログパーツを提供したんですけど、最初から広告賞を狙って企画したって話を聞きました。
かいつまんでいうと、クリックとかコンバージョン以外の目的(ありていにいうと「ブランディング」)でネット上でマーケティング施策をするのはなかなかむずかしいので、ひとつの成果や象徴として狙ったと。

これっていまのコンテンツマーケティングやネイティブ広告を検討しているマーケターが置かれている状況に近いと思うんですよね。

つか、UNIQLOCK、まだ動いてるんだね。すごいや。

いまだに動いてるブログパーツってあとは和田アキ子のやつくらいじゃないかな。

(リンク先は音が鳴るので注意)

それはさておき。

ある意味ではこれは「方便」なんだと思います。
だけど、正論だけで突破できないときに、こうした「わかりやすい数字」をもって社内を説得していくのは大事な対処だなとも思うのです。

なので、こうした反応が起こるのは当然だと思うし、これが正しいKPIなのかについては今後も考えつづけなきゃいけないと思うんですよね。

もちろん繰り返しになるけど、シェア数が目的になっちゃいけないです。
ただ、広告賞よりシェア数のほうが売上との相関が強い数字だと思うので、この数年でより望ましい状況に近づいたといえなくもないですよね。

目的があってのKPIだから、そもそも目的のバリエーションが複数ある以上、単一の指標で評価できるわけなくて、でもある程度はパターン化できるなら、汎用的な指標をつくっていくことは不可能なことじゃないと思うんですよね。

それは広告とかマーケティングの本来の効果や目的、あるいは意義について問い直すきっかけにもなりますしね。

UNIQLOCKについての話はこのときね。若いな。

シェアされる広告コンテンツに必要な3つの要素

今日は東京国際フォーラムで開催されてた「宣伝会議 AdverTimes DAYS 2015」に参加してきました。というかまだ会場で、いまはセッション間の休憩中です。

午前中のセッション「5,000人がシェアする、ユーザーに愛されるネイティブアドの作り方」の内容がじつにおもしろかったのでちょっとメモを共有します。

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登壇者はRettyの武田社長と、LINEの谷口さん。

Retty株式会社 代表取締役 CEO 武田 和也 氏
LINE株式会社 広告事業部 チーフプロデューサー 谷口 マサト 氏

谷口さんが書かれた記事はたくさん読んだけど、じっさいにお話されてるのを聞くのははじめてで、なんかすごく落ち着いた感じの方だった。
ネット上(とくにソーシャルメディア)で拡散するコンテンツの作り方についての話だったんだけど、とても納得のいく内容で、プロとして一定レベル以上のコンテンツを量産するためには不可欠なメソッドが話されてました。

前半はRettyの紹介で、Rettyの広告コンテンツはいわゆるまとめ型のネイティブアドで、焼肉屋リストとサントリー烏龍茶というような親和性の高いものから、神楽坂のバーとマンションという間接的に連想させるものまでいろいろやられてて、人気記事ともなると公開後数ヶ月たってもアクセスが月間数万PVとかあるらしい。

こういう広告なのに資産化して継続的に貢献できるというのは広告コンテンツの利点のひとつだよね。もっともその場合はなるだけ普遍的なブランドそのものをアピールするような内容にしていかないと陳腐化するけれど、上手につくられてるなあと思った。

後半は谷口さんとのトークになって、ここで「シェアされるネイティブ広告に必要な要素」として、谷口さんのこれまでの経験を踏まえたポイントが紹介されてました。

  1. タイトルにツッコミどころがある
  2. おもしろい or 役に立つコンテンツ
  3. コンテンツと広告の割合は7:3の比率

以下、ほとんどぼくの勝手な解釈ですけど。

「シェアされる」というのは、いいかえれば「バズる」という状態で、広告コンテンツにかぎらず、しきい値をこえて広まってしまうとネガティブな反応も当然届く。
これはかつて有吉弘行が語った「ブレイクするとはバカに見つかるということ」がすべてだし、森博嗣先生もたしか「批判的な声が届くというのはこれまでの読者層をこえて広がったということだからありがたい状態」というようなことをおっしゃってたように、不本意であっても受け入れなければならないことでもある。

だから最初からシェアされることを意識し、そこに一定のコミットをするのであれば、ネガティブな声をおそれて萎縮した表現になるのではなく、賛否両論をむしろ歓迎するスタンスで放り投げてしまうほうがいい。
言いきったほうが反応がもらえるというような話もされてたけど、主張がはっきりしているというのは伝わるメッセージの熱量が高いということでもあるので、正しい考え方だなと思った。

脇が甘いというツッコミ余地ではなく、脇が甘く見えることすらも計算尽くで、エクスキューズだらけで冗長な表現になるくらいなら、明確に言い切るという選択は正しいと思う。

次の「おもしろいか、役に立つ」というのは松浦弥太郎さんの言葉である「ほんとうだから 役に立つ、 役に立つから、 おもしろい。」じゃないけど、あらゆるコンテンツを考える上で大事な視点ですよね。

ぼくもむかしブログに「楽しいか、便利か、なきゃ困るか」って書いたけど(いま探したら2008年だったか)、正確には登山口として「楽しい」ルートと「便利」ルートがあり、その到達点として「なきゃ困る」という状態(山頂)があるという捉え方で、その後の「習慣化」などの話もこの「なきゃ困る」を言い換えただけ。

グーグルは最初「便利」だったけど、いまや「なきゃ困る」というインフラ状態になっているように、関係づくりには時間軸があって徐々に密になっていくと考えれば、「おもしろいか、役に立つ」というのは完璧な整理だと思う。
(まあ自分と同じ意見だから完璧と評価してるみたいで恥ずかしいけど)

3点目の比率の話は、その割合のことよりも、「広告とコンテンツには明確に一線を引くべき」という主張のほうが印象的だった。
見抜かれちゃうし、作為的なコンテンツと思われた時点で終わりだよねってことなんだけど、ネットの空気を熟知されてる方のコメントだなと思った。

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「真剣にふざける」というか、こういう軸がしっかりしているからこそあれだけのコンテンツをつくりつづけられるんだなあと軽く感動した。

最後はRetty武田さんによる「シェアされて、ユーザーにも愛される広告コンテンツ」についてのまとめ。

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タイトル、コンテンツ、広告メッセージ全てにおいてユーザー体験を追求し、設計されている

結果、ユーザーが自らシェアする

これこそ、スマホ時代の“新しい広告のかたち”であり、これから求められる広告

スマホ時代というよりはスマホ×ソーシャルな時代というほうがより正確だと思うけど、右脳(おもしろい)なり左脳(便利、役に立つ)なりに響いて、ちゃんと頭で理解されたコンテンツがシェアされ、最終的には心にまで届いたコンテンツが愛されるんだろうね。

そういうことを実績を積み重ねて自ら解体・解釈しなおして、ある程度フォーマット化していくことで量産できるような状態にしていくというのはマーケティングやコミュニケーションに携わるすべての人がこれから意識していかなきゃいけないスキルだろうなあ。
(もちろん自分でやるか、他の人に手伝ってもらうかの判断も含めて。というかその判断ができる程度のスキルは必要)

そのあとに聞いたビービット宮坂さんのカスタマージャーニーについてのセッションもおもしろかったし、今回のイベントは登壇者が話し慣れていて、(1コマがだいたい30分と短いこともあり)要点が整理されていて、わかりやすいものが多い。

ぼくもがんばんなきゃなーって思った。

スマホのホーム画面百景

まったく別の話だけど、さっきの「ねこあつめ」の記事を書こうとして自分のホーム画面のキャプチャを撮ったんだけど(けっきょく使わず)、他人のホーム画面をただひたすら見ることができるサイトとかあるといいんだけどなー。

むかしカイさんが「デスクトップ百景」って企画をやってらして、ぼくも書かせてもらったことがあるんだけど、あれ超おもしろかったんだよなあ。

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デスクトップって、その人のパソコンに対するスタンスがわりと出るし。

なぜそのアプリを? とか、なぜその位置に? とかいろいろ聞きたい。

誰かやってくれませんかね?

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すごいとウワサの「ねこあつめ」の広告表示を見てみたらめっちゃかわいかった

「ねこあつめ」ってアプリの広告の入れ方がすばらしいとツイッターで流れてたのでさっそく入れてみました。
ネコは好きだしアプリも知ってたけど、インストールはしてなかった。

起動してみる。

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かわいい。

で、いきなり広告が表示されるわけじゃなくて、とりあえずボールとかカリカリとかを指定されて場所に置くと、起動するたびにネコが遊びに来てくれる。
(ここまでを朝やった)

設定画面。左上の「メニュー」を押せば出てくる画面。これがいつもの状態。

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ここに広告が表示されます。さっき見たら広告が届いてたのでキャプチャ。

広告が届くのを待つってのもなんかおかしな気分だけど、まあとにかく見てみてください。たしかにみんなが褒めるのもよくわかるので。

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広告はスマートニュースなんだけど(ここはもっと世界観にあったものだといいんだけどね)、不快感が最小化された広告表示方法ではある。

ネコがチラシを持ってくるという表現はうまいよねえ。

ほとんどのユーザーには嫌われないと思うし。

ただまあこれって「押すかな?」という懸念があって、最初は物珍しいから押すんだけど、だんだん押さなくなっていくし、この手の広告ってクリックとかその後のインストールでお金が支払われるので(だからこそみんな誤クリックを誘発させるような出し方をするんだけど)、結果として収益化に貢献できないんじゃないかなと思ったり。

チラシを見せるだけなら「見たら【にぼし】プレゼント」とかでやれそうな気がするんだけどねえ。

ウザくない広告表示で、それでいてそこそこ収益に貢献できるというのはなかなか同時解決がむずかしい問題だけど、広告主選びや広告クリエイティブそのものの表現含め、こういうアイデアあふれる方々がうまいことクリアしてほしいなあ。

応援してます!

p.s.
つか、インストールしようとAppStoreで検索したら偽物のアプリがいくつかあって、なんというか闇が深いなと思った。

[追記20150416]
今日ランチしててこの話になったんだけど、スポンサードアイテムのほうが広告主のブランドとユーザーを近づけてあげられるんじゃないかな。

たとえばベタにモンプチをごはんとして使えるとか、銀のさらのお寿司をネコにあげられるとか、あるいはNボックスのミニカーをおもちゃにするとか、ヤマト運輸ダンボールを家にするとか(これはトラックの絵柄にそって切り抜いてじっさいにやってる人がけっこういる)、ブランド名が入ったアイテムを用意することでチラシを見てもらうよりもたくさん露出できるし、ブランドへの愛着もわくんじゃないかなあ。
そのアイテムが写ったキャプチャがシェアされることも予想できるし。

ネイティブアドの健全な発展に向けて

CNET Japanにネイティブアドの現状についてのインタビュー記事が掲載されてました。

雑感としては、(きわどいところに踏み込むからではあるものの)これまでは軽視されてきていた「消費者保護」に対してちゃんと考えて、ガイドラインも設けて守っていこうとする姿勢はすばらしいことだと思いました。
ほんとがんばってほしい。

もちろんあくまでも「自主ガイドライン」であって、これには強制力はないので、守らない企業が出てくるのは当然あると思う。
だけど、ステマやペイパーポストのときと同じで、そういうところにお金を渡さないようにして抑制するしかない。彼らは儲からなければ撤退するし。そう考えれば、これはお金を出す側の問題ともいえる。

けっきょく浄化するなら汚染水を流すなって話になってしまうんだけど、その汚染水を止めるには工場のオーナーが考えを改めなければならないんだよね。

以下、内容について。

ネイティブアドの品質審査

ネイティブアドの定義として、「デザイン、内容、フォーマットが、媒体社が編集する記事・コンテンツの形式や提供するサービスの機能と同様でそれらと一体化しており、ユーザーの情報利用体験を妨げない広告」というのはやっぱり中身次第だなと思うわけです。中身がスカスカだとユーザーの情報利用体験を妨げちゃうので。

記事広告タイプであれば読了率や滞在時間、バナータイプであればCTRやクリック後の直帰率などが、ほかのコンテンツと同程度の水準にあるのかが重要で、そういう指標を媒体側も広告主も双方が意識していかなければ媒体の価値も毀損するし、広告主のブランド形成もうまくいかない。

AdWordsはスコアによって、その品質の部分をある程度担保しようとしてるけど、ネイティブアドの場合は広告審査や編集責任でもって、そこをきちんと見ていかないとたとえガイドラインが守られたとしても、ユーザーに嫌われる存在になってしまう。

あと、だからといって表面的な数字をつくるために安易にお笑い系のおもしろコンテンツに偏ってしまうのも、そもそも中長期的な効果を狙うことが多いネイティブアドにとっては本末転倒になるし、広告コンテンツの企画制作ってほんとむずかしいよね。

インターネットの信頼性は低いのか

途中、JIAA常務理事の長澤秀行氏が次のようなことを発言されています。

求めている内容は、すでにマスメディアは当然のこととしてやっていることだ。それが一部のネットメディアはできていない現状がある。

「マスメディアは当然のこととしてやっている」といっても、バーターはじめグレーゾーンなやり方はいろいろ存在してるわけで、単純に「マスはできてて、ネットはできてない」という話でもないですよね。ちゃんとやってる企業はマスにもネットにもいるし、やってない企業も同じようにどちらにもいる。
まさに長澤氏の指摘どおり「一部の」ネットメディアができてないというだけ。

途中に出てくるメディアの信頼度の調査結果にしても、「テレビ」や「インターネット」と聞かずに、「NHK」や「Yahoo!」として聞いたらまたちがった結果になったようにも思います。
(というかこのグラフって「インターネットが信用されてない」ってことよりも、2013年にはインターネットが新聞を上回ってるかもしれないほうが気になるよね)

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(引用:CNET Japan ※一部加工)

引用元にある注記:
【提供:東京大学大学院情報学環・橋元良明氏】2012年調査(N=3000):「世の中の出来事や動きについて信頼できる情報を得る」ために使われるメディアの推移。図のような結果だが、個別に信頼度を尋ねた場合には「新聞」が最も信頼度が高いという。橋元氏は「他のメディアとの選択で、コストの関係から、実際には新聞を読まない、ということ」と説明する。

ちなみに同じようなデータを探してみました。
総務省の「平成25年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」です。
(「情報通信白書(平成26年版)」にも引用されています)

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(引用:総務省|「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」(速報)の公表

これによれば「世の中の動きについて信頼できる情報を得る」のために利用するメディアは新聞がいちばん高く、ついでテレビ、インターネットは低めです。

もっとも「インターネット」という言葉のイメージは人それぞれなので(新聞やテレビに比べると個人差が大きいと思われる)、なかなか評価がむずかしい結果ではあります。

まあともあれ、インターネット全体の信頼性はさておくとしても、ひとつでも多くのメディアが「信頼できる」存在にならなければと思いますし、そうすることによって「インターネットにも信頼できるメディアと、そうじゃないメディアの両方がある」という事実が正しく理解されるのだと思います。
ネイティブアドの議論がそのきっかけになればいいですね。

そういう意味では最終ページにある、講談社ライツ・メディアビジネス局次長でネイティブアド研究会の座長を務める長崎亘宏氏のコメントはそのとおりだなと思いました。

今回の改訂したガイドラインは、ガツガツ取り締まるというよりも「ネイティブアドに関わる企業がスタート地点に立つために整備をした」というのが現実的な見方。各企業が主体的にスタートラインを作っていく、そこにみんなで並ぼうという状況だ。まだまだスタートラインに立っていただいていない企業もあるし、そのスタートラインへの立ち方がわからない企業もある。本当にまだまだ始まったばかりだ。

個人的にはこの問題を解決するにはネイティブアドの価格がもっと高くなっていかなければならないと思ってます。
そうすれば出稿する広告主が減るからネイティブアドだらけの事態は避けられるし、1本の記事にお金をかけられるから(広義における「おもしろい」)クオリティの高いコンテンツをつくれるし、それによってブランドのメッセージが読者にきちんと届き、読者にとっても媒体にとっても広告主にとってもハッピーな状況が生まれる(可能性が高まる)。

もっともネット広告は常に価格が安くなるほうに引っ張られるから(なぜなら枠が無限に増えていくから)なかなかむずかしいとは思うけど、いまがスタートラインだからこそ大事に育っていくといいのになあ。

 

愛される努力よりも嫌われない努力を(コンテンツマーケティングはあくまでも手段)

コンテンツマーケティングのブームはまだまだつづきそうですね。
で、失敗事例も散見されるようになったこともあり、ちゃんとポリシーやコンセプトを定めてからはじめよう、運営体制もしっかり考えようという企業も増えてきたようです。
 
ぼくの最愛戦略のスライドもいまだに見ていただいていて、「どうすれば愛される企業になれますか」なんて相談もちょくちょくいただいてます。

(数年かけて加筆しつづけたスライドなのであと数年は使えるんじゃないかなあ)
 
最愛戦略において「愛されている」というのは目指す状態であり、結果にすぎません。
よほど条件的に恵まれていないかぎり、「よーし愛されるぜー」と思っても愛されないと思うのです。
 
最近はリハビリも兼ねてコンテンツマーケティングのセミナーにも参加しているのですが、「消費者に愛されるように」とか「顧客をファン化するために」なんて言葉をよく聞きます。
MA(マーケティングオートメーション)のセミナーでよく出てくる「顧客を育成する」という話もそうですが、ぼくはあれ無理だと思うんですよ。
 
だって自分がお客さんだったら望まないでしょう。
(かつての「顧客を囲い込む」って呪詛の言葉の繰り返しですね)
 
そもそも絶対愛される法則なんてないのです。
便利な情報を毎日アップしたら愛されるわけでもないし、人間味を出したからといって愛されるとはかぎらない。おもしろコンテンツが愛の獲得につながらないことはつい先日のエイプリルフール企画の死屍累々が教えてくれてますよね。
 
ぼくらが自覚的にせいぜいがんばれるのは「嫌われない」努力くらいです。
 
いや、ちょうど今日散髪してて、「もみあげどうしますか? 長めにしときますか?」って聞かれたんですよ。
1秒は考えましたね。
で、「ふつうでいいです」と答えたんだけど、40歳のオッサンが意識すべきは清潔感であって、無難上等だなと。長めのほうがオシャレなのかもしれないけど、そこで冒険するのは判断としては正しくないなと思ったんです。長い1秒だな。
 
ま、このたとえが適切かはさておき、いいかえれば「チャンスを未来に残す」ということなんだと思います。
嫌われなければ、いつか愛されるかもしれないという。
「好きの反対は無関心」って言葉があって、あれは真実だと思うんだけど(そもそも興味がないというのは好き嫌いを問う段階にたどり着いてないわけで)、だからといって無関心より嫌いのほうがマシだって話にはなりません。
 
「愛されなくっちゃ」と肩にチカラを入れたところでつづきゃしないし、そもそもその気持ちは空回りするばかりです。
だったらまずは「嫌われない」ことだけを意識して、丁寧にコミュニケーションを積み重ねていけばいいんじゃないかなと。

(オマケ)じゃあどうすれば最愛になれるのか

以下は蛇足というかオマケです。
 
じゃあなにをがんばるのか。
それはもう企業ごとにちがうんです。ぼくが相談を受けた際にいつも聞くのは「いまいるお客さんはあなたの会社のどこを支持してくれてるの?」って質問です。
そこを強化すればいいんです。
 
結果、コンテンツじゃないよねって話は多々あります。
(感覚的には半分以上はそういう結論になってた気がします)
 
居心地のいい店づくりが支持されてるなら営業時間を延ばすことがより多くの支持につながるだろうし、コールセンターに電話をかけてすぐつながることが支持されているなら予算はスタッフの増員に投下すべきです。
もちろんだからといって必ず愛されるとはかぎりませんが、それでもコンテンツマーケティングに手を出すよりは勝率の高い選択だと思います。
 
愛されるためにコンテンツマーケティングをするとか、SEOとしてコンテンツマーケティングをはじめるというのではなく、「コンテンツが支持されているから」もっともっとコンテンツに力を入れる、という順序であるべきで、それは当事者にとってはコンテンツマーケティングとは呼んでないと思うんですよ。
もっと切実な生命線だから。
 
ネット上に企業がお金をかけた良質のコンテンツがたくさん生まれることはすばらしいと思います。
でもそれはほんとうにあなたが会社の予算を使ってつくるべきものだったのかについては冷静に考えてみてもいいかなと。

ソーシャルメディアにはコンテンツそのものを流すべきなのか

BuzzFeedのCEO、Jonah Perettiが「ソーシャルメディアには、情報へのリンクではなくコンテンツそのものを流すべき、なぜならソーシャルメディア上のインプレッションのほうが数字としてははるかに大きいから」とSXSWで語ったとされる記事が公開されてから、すでに1ヶ月近くが経過していますが、個人的にはいまなお頭の中でひとりディスカッションがつづいているホットなトピックです。
 
ひとりで思考するのも悪くないけど、そろそろこういうテーマで雑談しあえる仲間を募りたいなと思って、ちょっと吐き出してみようと思います。

この記事が示しているのは各ソーシャルメディアから自社サイトへの流入数よりも、配信先であるソーシャルメディアそのものでのインプレッションのほうが数十倍も大きいので、Facebookツイッターにコンテンツそのものを投稿してその場で読んでもらうことに注力したほうがいい、というものです。
 
具体的な数字も紹介されています。
Twitter経由で獲得するリファラルのトラフィック(月間)は1250万で、Pinterestからは6000万、そしてFacebookからは3億4900万を獲得しているのだそうだ。

リファラルによるトラフィックは、コンテンツ閲覧者に比べると非常に小さな数字となっています」と言っている。確かに、インプレッション数を見るとTwitter上で8億4700万、Pinterestで60億、そしてさらにFacebookでは113億という数字になっているのだ。

 整理すると次のようになります。

 
リファラル(流入数)
インプレッション数
 差
3億4900万
113億
32.4倍
1250万
8億4700万
67.8倍
Pinterest
6000万
60億
100.0倍
 
記事中にあるスライドの円の大きさのインパクトもすごいですけど、こうして倍率を割り算して出してみてもたしかにすごい差です。
(BuzzFeedのツイッターアカウント @buzzfeed は215万フォロワーもいることを考えれば流入数が少ないような気もするけど)
 
じっさい、ほとんどすべての企業アカウントは自社サイトへのリンクを本文のサマリーやリード文をつけて投稿していると思います。
もしかしたらリード文も用意せず、記事の冒頭100文字をRSSから切り取って自動投稿しているケースもあるんじゃないでしょうか。
 
BuzzFeedでは「Share Statement」と呼んでいるソーシャルメディアに投稿する際に付与するテキスト(見出し)は、記事のもともとの見出しなどよりも重視視されているそうです。
なぜならこの文章によってシェアされるかどうかが大きく左右されるからです。
 
先日、NewsPicksに掲載された記事では、この部分は複数のパターンのA/Bテストを実施して、自動的に最適化される(=成績のいいものが選ばれる)と書いてありました。
(おそらくは訪問者あたりのシェア率が最大化するようにチューニングしてるんでしょうね)

記事は見出し、写真、本文という構成ですが、本文はそのままで、見出しと写真は最大12パターンも作ります。そして、そのすべてのパターンを配信し、数時間モニタリングします。最もクリック、シェアされたパターンが判明すると、記事をそのパターンにすべて差し替えるのです。これらのプロセスは、すべて自動化されています。
こうした取り組みを通じて拡散率(シェアされる割合)を高め、それによってインプレッション=リーチを最大化するという全体の方針があっての冒頭の発言であることは認識しておくべきでしょう。
 
話をTechCrunchの記事に戻すと、「リンクではなくコンテンツそのものを配信すべき」というPerettiの主張は、BuzzFeedがネイティブアドによって収益を上げているからだろうとまとめられていて、読者の反応もおおむね同じような感じでした。
(バナー広告の場合は自社サイトに誘導しなければ1円の売上にもならないけど、ネイティブアドなら基本的にはインプレッションさえ稼げれば場所は問わないので)
 
たしかにそれはそのとおりなのですが、ぼくはこの議論はオウンドメディアの成長戦略や、コンテンツマーケティング全体のテーマとして議論されるべきなんじゃないかと思ったのです。

PVよりもリーチのほうが重要なのはほんとうか

まず大前提として「(誘導のためのリード文やサマリーじゃなく)全文配信できるのか」という問題はありますよね。
じっさいツイッターに投稿できる文字数はかぎられていますし、投稿できる文字数に制限のあるサービスは少なくありません。
 
また、「自社サイトと配信先のソーシャルメディアで読了率は変わらないのか」という問題もあります。
経験的にはFacebookのニュースフィードに流れてきたとしても「もっと見る」を押してわざわざ全文表示するケースは少ないですし、スマホで閲覧している場合などは結構なスピードでスクロールするのでほとんど認識すらできてないケースもあって、なんとなく読了率は低くなりそうな気がします。
 
こうした検討や確認すべき課題はあるものの、思考を先に進めます。
 
見てくれる人が多ければ多いほどいい」というのはオウンドメディアにも当てはまりますよね。
オウンドメディアの場合も(BuzzFeedとは理屈はちがえど)バナー広告を見せる必要はないわけですから、いちいちサイトに誘導しなくてもソーシャルメディア側で商品の認知やブランドの好意度向上が達成できるならそれでもかまわないはずです。
(ただしECに誘導するなどサイト内の特定のページに回遊させることが目的のオウンドメディアの場合はあてはまりませんが)
 
もしほぼ同じボリュームのコンテンツを配信できて、読了率にいちじるしく差がなければ、メディアの目的やマネタイズ手法によっては――つまりバナー広告表示やサイト内遷移などの制約がなければ――、PVよりもリーチのほうが重要だといえるケースが存在しそうです。
 
このケースにおいてはネイティブアド(スポンサードポストや記事広告型)の出稿や、ポータルサイトやキュレーションメディアへの記事配信も積極的にやればいいと思います。
 
いちおう触れておくと、このこと自体はなにも新しい話じゃなく、従来から「ワンソース・マルチユース」として語られてきたものです。

なぜBuzzFeedは実践してないのか

しかしここで気になる事実があります。
 
とうのBuzzFeedのFacebookページを見てみましたが、全文を投稿しているわけではなく、しかも投稿時のテキストも「The Titanic hadn't even been built yet.」だけというように、ごくごくあっさりしたものでした。
これではFacebookだけで内容は理解できませんし、とてもコンテンツそのものが配信されているとは思えません。

f:id:takeshi:20150407174051p:plain

なぜBuzzFeedは「コンテンツそのものを流すべき」といいつつ自ら実践していないのでしょうか。
 
まだ検討中だから?
広告主の理解が得られてないから?(ソーシャルメディア上の露出を等価値と認められないから?)
 
自社のオウンドメディアの取り組みとして検討するにしても、ここを考えておかないと大失敗につながりそうです。
 
その一方で「NowThis News」という新興メディア(BuzzFeedも十分、新興メディアなんですけどね)は自社メディアを完全に廃止して、すべてのコンテンツをソーシャルメディア側にだけ置くように方針転換したそうです。
(参照:分散メディア革命/NowThis News が示す Webサイト消滅への道 | 藤村厚夫 Media Disruption

f:id:takeshi:20150408090723p:plain

これは「NowThis News」のコンテンツが「動画」だからやりやすかったということなのかもしれません。
(だとすればテキスト中心である大半のオウンドメディアはBuzzFeed同様、思考実験にとどめておくべきなのかもしれませんね)
 
ソーシャルメディアやネイティブアド、あるいはキュレーションメディアなど、コンテンツそのものを外部配信することが容易になったいま、昨日までの常識にとらわれて「自社サイト以外にコンテンツを出さない」と決めつけるのは危険だと思います。
しかし、簡単に結論を出せるテーマでもなさそうです。
 
結論のないままの投稿になっちゃいましたが、今後も継続して考えたいテーマだと思ってるので、興味のある方は連絡ください。
 
p.s.
以前より「分散型BuzzFeed」については「SmartNews」の藤村さんのブログでも触れられていましたが、今回の内容はこれを読んだときからずっと考えてきているテーマでもあります。

マス広告の限界、アクセル思考とブレーキ思考

テレビCMを中心に、最近企業の広告が炎上につながるケースが増えていますね。
 
理由や背景としては、ソーシャルメディアの普及によってぼくらが徒党を組みやすくなったという点と、マスコミがコンテンツ制作を怠けて――もちろん背景には予算削減などのやむを得ない事情はあるんだろうけど――ネット発の、とくに炎上系のネタを嬉々として取り上げるため、より多くの人の目に触れやすくなっているという点があります。
 
広告が文字通り「広く告げた」結果、自社の顧客じゃない人たちから猛反発をくらうケースが増えているというのはなんとも皮肉な結果だなと思うとともに、「リーチが多けりゃいい」というある種のマス広告に対する幻想は完全に終了した感じもします。
 
こうした状況は制御できないものですから、ぼくらはそれを前提として踏まえた上で、コミュニケーション戦略を考えていかなければなりません。
自社のメッセージを曲解するような人や、都合よく引用してネガキャンを展開するような人たちのことをイメージして表現に気を配り、またそういう人たちに対して「いかに届けないか」という設計が重要になっていくでしょう。
 
そして、そのときに必要になってくるのが、「アクセル思考」と「ブレーキ思考」です。

アクセル思考とブレーキ思考

明らかな差別的表現でなかったとしても、世の中にはさまざまな価値観があり――それは多様性という文脈の中では賞賛されるべきものです――何らかの主張を行えば、大なり小なりの反響が起こります。
そもそも企業が予算を投じて主張する以上、反響が起こらない主張には価値がないともいえるわけですが、その言動がどのようなリアクションを呼び起こすのかを想像しなければなりません。
 
一方で、かつて「反論を予測しながら書く文章はつまらない。」と養老先生が雑誌のインタビューで喝破されたように、あらゆるネガティブな反応を予測できたとしても、それを恐れて萎縮したり、エクスキューズを入れまくった表現となってしまっては伝わるものも伝わらなくなってしまいます。

http://www.flickr.com/photos/7862959@N02/4035681963

 紙に印刷されて発表される文章と、ネットにのる文章は、どうしたって違ってくるはずなんです。ネットの場合は明らかに、反論を予測しながら書くことになりますから。読む人間がどう反応するかを極端なケースまで予想して書く。ウェブは、書いたことにかなり悪口を言われますからね。しかも、新聞や雑誌をちがって反応がダイレクトだから、書いたほうもついつい悪口を読まざるを得なくなる。そうすると、あれこれのケースを考えながら書くようになって、すっきりした文章にならない。読んでいるとなんだかうるさい感じの文章になってくる。
 反論を予測しながら書くとどうなるかというと、これは官僚の作文に近くなっていきます。しかし、用意周到な文章なんて、読んでいてこれほどおもしろくないものはない(笑)。
(『考える人』2009年11月号、44ページ)
ほんとうに伝えたい人にまで伝わらなくなってしまっては本末転倒です。
 
要はよくあるバランスをとろうぜって話なんですが、それをひとりの人間内に求めるのはけっこうむずかしいので、チームとしてチェックできるようにするのが現実的な対処でしょう。
 
企画や制作にかぎらず、開発案件でもなんでもそうだけど、「積極的かつ主体的にクリエイティブを追求し、世の中に論を起こしていくこと」を是とするアクセル思考の人間と、「ネガティブな反響によるダメージを最小化するため、表現を保守的に抑制すること」を是とするブレーキ思考の人間の両方が必要で、その両者がちゃんとお互いの意見を尊重しあって物事が決まっていけば、大きなトラブルは回避できます。
(もちろんゼロにはできない)
 
このあたりはソーシャルメディア運用におけるコツと同じで、けっきょく現代の企業コミュニケーションはそのチャネルがマスであろうと、ソーシャルであろうと、あるいは会員向けであろうと、大胆さと慎重さを組織的に両立させていかなければならない時代になったということです。
もっともその重要さは以前から一部では認識されていたわけで、有名企業による無視できない規模の炎上事例が出てきたことによって、ようやく実感が湧いてきたのかなとも思います。
 
現代のマーケティングは、企業の持っている組織的機能を技術のみならず、その思考スタンスも踏まえて総動員することが重要で、それはセルジオ・ジーマンが「全員がマーケターであるべき」だと提唱したことが現実となったともいえるし、マーケティングというものが単独の部署でどうこうできるレベルではなく、全社的な取り組みに昇華しなければならない時期にきているともいえます。
 
広告やマーケの人はアクセル思考が強いから、彼らに一任するとリスクを見落としやすいので、たとえば広報やサポートのようにブレーキ思考に長けている人にプロジェクトに参加してもらって、チームとしてうまくバランスをとって進めていくことを考えなければならない状況がすでにあって、その上で「必要以上に届けない、拡散させすぎない」という「どかんモデル」でコミュニケーション全体を設計していくことがますます求められていくようになるんじゃないかなと。
最後を持論に結びつけて閉めるのはなんともこっ恥ずかしいけど。

marketingis.jp

セルジオ・ジーマンの実践!広告戦略論

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すべては「売る」ために―利益を徹底追求するマーケティング

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考える人 2009年 11月号 [雑誌]

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ネイティブアドかオウンドメディアか(JIAAのガイドラインを読んで)

ネイティブアド(ネイティブ広告)についてのガイドライン一般社団法人インターネット広告推進協議会(JIAA)から発表されました。

ぼくもさっそく読んでみたんですが、まず定義のところが気になりました。
「これ以外に書きようがなかった」ことはとてもよくわかるんです。わかるんだけども、これだとステマを上品に言い換えただけと捉えられかねない。

【ネイティブ広告の定義】
デザイン、内容、フォーマットが、媒体社が編集する記事・コンテンツの形式や提供するサービスの機能と同様でそれらと一体化しており、ユーザーの情報利用体験を妨げない広告を指す。

とはいえ「見た目がいっしょ=なじんでる=ネイティブ」だからほかにいいようがないんですよね。関係者の苦労が目に浮かびます。
ざっとチェックしたかぎりでは強く反発されてる感じもなく(注目度が下がっているということはあるかもしれないけど)、いい意味で無難な発表だったと思います。

添付されていた「ネイティブ広告に関する推奨規定」もざっとチェックした感じでは、「ふつう」の印象で、ちゃんと広告表記をしようねってことが書いてありました。これ以上書けないよね。

個人的には「広告」「AD」はいいとして、「PR」は広告であることを読者に伝えるラベルになりえるのかという疑問が前々からあるんですが、そのへんの議論の経緯がもしあったなら聞いてみたいところ。

反応が薄いという点では、ほとんどブログで取り上げられてないというのがけっこう象徴的で、まあ個人ブログで取り上げるようなネタではないのかもしれませんね。

そんな中、川上慎市郎さんがcakesの記事で取り上げられてました(これも個人ブログではないけれど)。

この記事で指摘されているのは、

  • ガイドラインの3ページ目の脚注に「広告媒体の広告掲載枠に掲載される広告とは、広告枠として取引しているか否かにかかわらず、媒体社が広告主から依頼を受けて有償で掲載する広告すべてを意味する。」という文言があるので、この基準に照らせばほとんどの記事は広告になってしまう
  • 広告主企業が自ら運営するメディア(オウンドメディア)上の記事も、メディアの記事や自社のサイト同様「広告」の表記をしなくて良いことになっているので、大手広告主はこれからオウンドメディアを開設しまくるのではないか

という2点です。

最初の指摘は解釈が微妙な部分もあるし、そもそも「媒体社が広告主から依頼を受けて有償で掲載」とある部分を逆手に取れば、先に提灯記事を書いておいて、それをエサに純広告を取りにいくという場合、その提灯記事には広告表記をする必要はないわけで(もちろん現在もそうなんだけど)、けっきょくのところこれがルールではなく「ガイドライン」である以上、関係者のモラル次第だと思います。
(ただ、アゴ・アシ・マクラの問題は根深くて、これをメディア側も広告主側も双方で排除できるかというとなかなかむずかしいんじゃないかと)

大手広告主は「オウンドメディア」開設に雪崩を打つ、のか

おもしろいなと思ったのはふたつ目の指摘のほうです。
ぼくがこの資料を見たときにはまったく思いつきませんでした。こういう自分の見落としを気づかせてもらえることがブログのいいところですね。

同じ「広告主がお金を出して製作した記事」なのに、自社で運営するメディア上なら広告と表記しなくてもよくて、他のネットメディアに掲載するなら「広告」であることが分かるように表記しなければならないのです。

なるほどなあ。
それこそ運営元企業を伏せてわからないようにしたオウンドメディア――それはすでにオウンドメディアじゃないような気もするけど――ならいくらでも自社の提灯記事を「広告表示なしで」書くことができるわけですしね。
(そもそもこのオウンドメディアには子会社とか、出資先も含むんだろうか)

ただ、そうはならないとぼくは思います。
川上さんも指摘されているとおり、集客力のあるメディアをつくるのは簡単なことではないからです。そして時間もかかるので、マーケティング予算の投下先として検討はされても、じっさいに施策にゴーサインが出ることは少数だと思います。

個人的には企業ブログの頃からそういう未来をずっと期待してるんですけどね。

オウンドメディアやコンテンツマーケティングの問題は、従来からある「お金かけてキャンペーンサイトをつくったものの、まったく見られない」という問題がまったく解消されていない点で、むしろいまのブームは今後下火になっていくんじゃないかと思ってます。
(その予算がネイティブアドに流れるんじゃないかなと)

けっきょくのところ、企業がマーケティング予算を投じてコンテンツをつくる以上、それが大勢の目に触れ、彼らの心に響かないといけないわけですし、多くの場合、それは新規顧客や見込み顧客を集めるために行うわけですから、自社の公式サイトにトラフィックが集まってるからといって、そこからリンクして解決する話でもありません。

もちろん「掲載費として支払うコストを集客にまわせばいいじゃない」というのは正しい指摘ですし、そのほうが資産化していく可能性があるので考慮すべきポイントだと思います。
(といっても集客手段がそんなに多くないという問題はあります*1

オウンドメディアを自立させるにはソーシャルメディアをうまく活用しなければならなくて、だけどそのためには一定量以上のコンテンツを継続的に生産しなければなりません。ネタ切れしちゃうから。

この壁はそう簡単にこえられるものじゃないので、当面はネイティブアドを活用するのが現実的な解となるだろうし、だからこそ健全に発展していくことを願ってます。
クチコミのときと同じ展開にならないようにしてほしい。

[2015/03/24追記]
ブログに書いてる人がいた!うれしい。

[2015/03/28追記]
さらに発見。昔ほど多くはないけど、やっぱりこういう同時多発的に論が展開されるのが楽しいよね。

*1:企業サイトやオウンドメディア間でもっと積極的に送客しあえばいいんでしょうけどね

ソーシャルメディアの活動を評価する(できるのか?)

最近は「エンゲージメント(率)」の数値化は「いいね!」の数やお気に入りに登録された数、あとは返信数など、投稿に対するすべてのリアクション数を、インプレッション数やファン数、あるいは投稿数などで割ったものを指すらしい。
しばらくこのへんを追っかけてなかったんだけど、そうか、そこに落ち着いたか。
 
でもそれってただの反応率じゃね?
ペットの写真や、ランチの写真をアップして「いいね!」を押してもらったとして、それは「エンゲージメント」を達成できたと考えていいんだろうか。
エンゲージメントと大仰な言葉を拝借して、「顧客との(良好な)関係性」という質にフォーカスしたにもかかわらず、あまりに物足りない感じがぬぐえないのはぼくだけだろうか。
 
一方で、取得可能な数字をこねくりまわしてなんらかの指標を作っていかなければならないという現場の悩み(というか苦しみ)もよくわかって、やってることは正しいはずなのに、てかそれはえらい人もわかってるはずなのに、数字で説得しないと承認されないという現実問題があるわけですよね。
(こんな雑な数字で説得されちゃうのかという疑問は残るけど)
 
ということで、ぼくもひさしぶりに現場に戻ったこともあり、取得可能な数字をこねくりまわして少しでも意味のある指標がつくれないかと考えてみました。

Facebookの評価指標

まずエンゲージメント率の見直しです。
1投稿あたりのリアクションを、総リーチ数で割るようにしました。
 
エンゲージメント率(改)=(いいね!数+コメント数+シェア数) / 投稿数 / 総リーチ数
 
これは「総ファン数で割るとアルゴリズム変更で大きくぶれるから、総リーチ数で割ったほうがいいよ」とアドバイスしてもらったからで(ありがとう)、たしかにこっちのほうがフェアな評価ができる。

 

ちなみに総リーチ数は、インサイトから投稿データをエクスポートして「主要データ」の「通算 投稿の合計リーチ」を集計したものです。ざっくり、投稿を見た人(記事単位ではユニークユーザー)と解釈できます。

 
で、これだとビジネスへの貢献も測れなければ、ウケ狙いの投稿を抑制する歯止めにもならないので、自社サイトへの送客数も見るようにしました。
これはFacebookのクリックを見ずに(たぶんこれって写真のクリックとかも含んでるよね?)Google Analyticsの流入数(facebook.com / referral)の数字を見るようにしました。
 
こういうことです。
 
1投稿あたりの反応数=(いいね!数+コメント数+シェア数+送客数) / 投稿数
 
リアクション率=(いいね!数+コメント数+シェア数+送客数) / 総リーチ数

 

たまたま写真投稿をリンク投稿に変えた期間があったのですが、送客数を含めないと数字は減少していたのに(やっぱり写真の被「いいね!」率は高いですね)、含んだ数字で見るとあまり変わらず安定していました。

 
総ファン数がどの計算式にも使われてないんですけど、だからといって重要視してないわけじゃありません。総リーチ数を増やすには総リーチ数を増やすか、広告を出すか、シェアされるか、エッジランクを高めるかしかないわけですからね。
逆にいえば、総リーチ数の増加につながらないファンを増やしても意味がないってことですね。
 
けっきょくのところ、Facebookの運用を評価するには
リンククリック(サイト訪問)も含めたリアクションを増やすこと
が主目的で、それを達成するために
「1投稿あたりの反応数」を下げずに、「総リーチ数」を増やしていくこと
を意識して、そのチェックのためにエンゲージメント率を見るという感じかな。

ツイッターの評価指標

ぶっちゃけツイッターに関しては「質より量」と割りきったほうがいいのかもしれません。
なにかしら数字を見ようとしてみたのですが、なかなかむずかしいですね。
 
まずTwitterアナリティクスで「獲得インプレッション」「リンクのクリック数」「リツイート数」あたりは見るようにしています。
あとは1投稿あたりのリツイートを示す「拡散率」を割り出しています。
 
現状、ツイッターでフォロワー数を大きく増やしていくのはけっこうむずかしいので、インプレッションを増やすなら投稿数を増やしたほうが早そうです。
ただそれだとスパム化するリスクがあるので、フォロワーが減ってないかとか、ちゃんとリツイートされてるかというあたりをチェックして抑制する感じですかね。
 
いずれにしても企業がこうしたソーシャルメディアを活用する以上、多くの人に届けたいと願う気持ちは正当なもので、ただし「スパム化しないかぎり」という前提条件があるので、それを守るためのブレーキとなる数字を見るようにしなきゃいけませんね。
 
もちろん、これはあくまでもソーシャルメディアの活動を評価するという、きわめて限定的な話で、じっさいにはサイト訪問の頻度や、売上分析などをあわせて行いつつ、広い意味での(そして正確な意味での)「支持率」をちゃんと見なきゃいけないわけですが、それはまた別の話。
 
もし「うちはこんな感じで評価してるよ」ってのがあれば教えてください。

ネット上で長文を公開する際は分割するべきか(コンテンツ版入荷お知らせメール)

ネット上で長文を公開する際、それを1ページにぜんぶ載せちゃうか、あるいは複数ページに分割するかという選択がある。
とりわけパソコン通信世代や2000年代前半からネットを使ってるような人は1ページにぜんぶ入れこむことを是とする傾向があるけど、じっさいスマホで読もうとしたらそんなに長文を読めないし(デスクトップPCのモニタでもきつい)、そもそも細切れの時間にアクセスしている人たちが最後まで読んでくれるはずもないわけで、ここについては分割するしかないというのが現状。
 
次に、それを単に「次へ」のリンクで複数ページにするのか、あるいは「つづきは明日公開」として複数日にまたがった連載形式にするのかという選択がある。
ネットメディアでは前者が多い。もっとも2ページ目以降読むのにログインを必要とするパターンばかりだけど(それはそれで媒体資料づくりのためにやっているのだろう)。
後者のパターンは「ほぼ日」など少数派で、なんでこっちは人気がないんだろうね。
 
(「ほぼ日」を検索結果で見ないとか、ソーシャルメディアでもたいしてシェアされてないというのはURL体系含めたサイトの構造の問題で、公開するパッケージングの問題じゃないと思うんだけどなあ)
 
明日も読みに来てもらえる確信がない」という理由はありそう。
それはそのまま「ほぼ日」の強みでもあるんだけど。あれだけ読者の訪問が習慣化したメディアは多くないので。
 
じゃあ「記事が公開されたことを通知する仕組み」を用意すればいいんじゃないの。
商品の入荷お知らせメールと同じように、コンテンツの更新お知らせメールをつくればいい。
「この連載コンテンツおもしろいな。つづきが気になるからアップされたら教えてほしい」という方がさくっと登録できるようになっていて、(無粋な目的に使わず)ただただ次の記事が公開されたときにだけメールを送り、最終回の配信と同時に抹消する。
 
cakesはお気に入りの連載を登録することができて、新しい記事がアップされたら通知されるようになってる。これだよね。
 
メールの文面には記事にまつわる裏話なんかも書いてもいいだろうし、記事中で紹介された商品などの情報くらいなら入れてもウザくないし、むしろ喜ばれそう。
 
ともすれば「すべての記事の更新をお知らせするメルマガ」を発行して、それに登録してもらえばいいと考えがちだけど、たぶんそれじゃダメで、コンテンツが細分化された世界では、アラートも細分化して受け付ける必要があるんだと思う。
もちろん「すべてを通知する」機能を持ったメルマガがあっていいし、あるいはそれはツイッターなどの役割になるかもしれない。
 
ま、そもそも複数ページを一気に公開したほうが読んでもらえるのかもしれないんだけどさ。
ただそうだとしても週イチの1時間ドラマもあれば、毎日5分のミニ番組だって見られてるわけで、個人的には少数派側に活路を見出したいなと思ってるところ。

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり