いまさっき思ったこと

あとで読み返したときになにかが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど、それはそれでいい

愛される努力よりも嫌われない努力を(コンテンツマーケティングはあくまでも手段)

コンテンツマーケティングのブームはまだまだつづきそうですね。
で、失敗事例も散見されるようになったこともあり、ちゃんとポリシーやコンセプトを定めてからはじめよう、運営体制もしっかり考えようという企業も増えてきたようです。
 
ぼくの最愛戦略のスライドもいまだに見ていただいていて、「どうすれば愛される企業になれますか」なんて相談もちょくちょくいただいてます。

(数年かけて加筆しつづけたスライドなのであと数年は使えるんじゃないかなあ)
 
最愛戦略において「愛されている」というのは目指す状態であり、結果にすぎません。
よほど条件的に恵まれていないかぎり、「よーし愛されるぜー」と思っても愛されないと思うのです。
 
最近はリハビリも兼ねてコンテンツマーケティングのセミナーにも参加しているのですが、「消費者に愛されるように」とか「顧客をファン化するために」なんて言葉をよく聞きます。
MA(マーケティングオートメーション)のセミナーでよく出てくる「顧客を育成する」という話もそうですが、ぼくはあれ無理だと思うんですよ。
 
だって自分がお客さんだったら望まないでしょう。
(かつての「顧客を囲い込む」って呪詛の言葉の繰り返しですね)
 
そもそも絶対愛される法則なんてないのです。
便利な情報を毎日アップしたら愛されるわけでもないし、人間味を出したからといって愛されるとはかぎらない。おもしろコンテンツが愛の獲得につながらないことはつい先日のエイプリルフール企画の死屍累々が教えてくれてますよね。
 
ぼくらが自覚的にせいぜいがんばれるのは「嫌われない」努力くらいです。
 
いや、ちょうど今日散髪してて、「もみあげどうしますか? 長めにしときますか?」って聞かれたんですよ。
1秒は考えましたね。
で、「ふつうでいいです」と答えたんだけど、40歳のオッサンが意識すべきは清潔感であって、無難上等だなと。長めのほうがオシャレなのかもしれないけど、そこで冒険するのは判断としては正しくないなと思ったんです。長い1秒だな。
 
ま、このたとえが適切かはさておき、いいかえれば「チャンスを未来に残す」ということなんだと思います。
嫌われなければ、いつか愛されるかもしれないという。
「好きの反対は無関心」って言葉があって、あれは真実だと思うんだけど(そもそも興味がないというのは好き嫌いを問う段階にたどり着いてないわけで)、だからといって無関心より嫌いのほうがマシだって話にはなりません。
 
「愛されなくっちゃ」と肩にチカラを入れたところでつづきゃしないし、そもそもその気持ちは空回りするばかりです。
だったらまずは「嫌われない」ことだけを意識して、丁寧にコミュニケーションを積み重ねていけばいいんじゃないかなと。

(オマケ)じゃあどうすれば最愛になれるのか

以下は蛇足というかオマケです。
 
じゃあなにをがんばるのか。
それはもう企業ごとにちがうんです。ぼくが相談を受けた際にいつも聞くのは「いまいるお客さんはあなたの会社のどこを支持してくれてるの?」って質問です。
そこを強化すればいいんです。
 
結果、コンテンツじゃないよねって話は多々あります。
(感覚的には半分以上はそういう結論になってた気がします)
 
居心地のいい店づくりが支持されてるなら営業時間を延ばすことがより多くの支持につながるだろうし、コールセンターに電話をかけてすぐつながることが支持されているなら予算はスタッフの増員に投下すべきです。
もちろんだからといって必ず愛されるとはかぎりませんが、それでもコンテンツマーケティングに手を出すよりは勝率の高い選択だと思います。
 
愛されるためにコンテンツマーケティングをするとか、SEOとしてコンテンツマーケティングをはじめるというのではなく、「コンテンツが支持されているから」もっともっとコンテンツに力を入れる、という順序であるべきで、それは当事者にとってはコンテンツマーケティングとは呼んでないと思うんですよ。
もっと切実な生命線だから。
 
ネット上に企業がお金をかけた良質のコンテンツがたくさん生まれることはすばらしいと思います。
でもそれはほんとうにあなたが会社の予算を使ってつくるべきものだったのかについては冷静に考えてみてもいいかなと。

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり