いまさっき思ったこと

あとで読み返したときになにかが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれないけど、それはそれでいい

マス広告の限界、アクセル思考とブレーキ思考

テレビCMを中心に、最近企業の広告が炎上につながるケースが増えていますね。
 
理由や背景としては、ソーシャルメディアの普及によってぼくらが徒党を組みやすくなったという点と、マスコミがコンテンツ制作を怠けて――もちろん背景には予算削減などのやむを得ない事情はあるんだろうけど――ネット発の、とくに炎上系のネタを嬉々として取り上げるため、より多くの人の目に触れやすくなっているという点があります。
 
広告が文字通り「広く告げた」結果、自社の顧客じゃない人たちから猛反発をくらうケースが増えているというのはなんとも皮肉な結果だなと思うとともに、「リーチが多けりゃいい」というある種のマス広告に対する幻想は完全に終了した感じもします。
 
こうした状況は制御できないものですから、ぼくらはそれを前提として踏まえた上で、コミュニケーション戦略を考えていかなければなりません。
自社のメッセージを曲解するような人や、都合よく引用してネガキャンを展開するような人たちのことをイメージして表現に気を配り、またそういう人たちに対して「いかに届けないか」という設計が重要になっていくでしょう。
 
そして、そのときに必要になってくるのが、「アクセル思考」と「ブレーキ思考」です。

アクセル思考とブレーキ思考

明らかな差別的表現でなかったとしても、世の中にはさまざまな価値観があり――それは多様性という文脈の中では賞賛されるべきものです――何らかの主張を行えば、大なり小なりの反響が起こります。
そもそも企業が予算を投じて主張する以上、反響が起こらない主張には価値がないともいえるわけですが、その言動がどのようなリアクションを呼び起こすのかを想像しなければなりません。
 
一方で、かつて「反論を予測しながら書く文章はつまらない。」と養老先生が雑誌のインタビューで喝破されたように、あらゆるネガティブな反応を予測できたとしても、それを恐れて萎縮したり、エクスキューズを入れまくった表現となってしまっては伝わるものも伝わらなくなってしまいます。

http://www.flickr.com/photos/7862959@N02/4035681963

 紙に印刷されて発表される文章と、ネットにのる文章は、どうしたって違ってくるはずなんです。ネットの場合は明らかに、反論を予測しながら書くことになりますから。読む人間がどう反応するかを極端なケースまで予想して書く。ウェブは、書いたことにかなり悪口を言われますからね。しかも、新聞や雑誌をちがって反応がダイレクトだから、書いたほうもついつい悪口を読まざるを得なくなる。そうすると、あれこれのケースを考えながら書くようになって、すっきりした文章にならない。読んでいるとなんだかうるさい感じの文章になってくる。
 反論を予測しながら書くとどうなるかというと、これは官僚の作文に近くなっていきます。しかし、用意周到な文章なんて、読んでいてこれほどおもしろくないものはない(笑)。
(『考える人』2009年11月号、44ページ)
ほんとうに伝えたい人にまで伝わらなくなってしまっては本末転倒です。
 
要はよくあるバランスをとろうぜって話なんですが、それをひとりの人間内に求めるのはけっこうむずかしいので、チームとしてチェックできるようにするのが現実的な対処でしょう。
 
企画や制作にかぎらず、開発案件でもなんでもそうだけど、「積極的かつ主体的にクリエイティブを追求し、世の中に論を起こしていくこと」を是とするアクセル思考の人間と、「ネガティブな反響によるダメージを最小化するため、表現を保守的に抑制すること」を是とするブレーキ思考の人間の両方が必要で、その両者がちゃんとお互いの意見を尊重しあって物事が決まっていけば、大きなトラブルは回避できます。
(もちろんゼロにはできない)
 
このあたりはソーシャルメディア運用におけるコツと同じで、けっきょく現代の企業コミュニケーションはそのチャネルがマスであろうと、ソーシャルであろうと、あるいは会員向けであろうと、大胆さと慎重さを組織的に両立させていかなければならない時代になったということです。
もっともその重要さは以前から一部では認識されていたわけで、有名企業による無視できない規模の炎上事例が出てきたことによって、ようやく実感が湧いてきたのかなとも思います。
 
現代のマーケティングは、企業の持っている組織的機能を技術のみならず、その思考スタンスも踏まえて総動員することが重要で、それはセルジオ・ジーマンが「全員がマーケターであるべき」だと提唱したことが現実となったともいえるし、マーケティングというものが単独の部署でどうこうできるレベルではなく、全社的な取り組みに昇華しなければならない時期にきているともいえます。
 
広告やマーケの人はアクセル思考が強いから、彼らに一任するとリスクを見落としやすいので、たとえば広報やサポートのようにブレーキ思考に長けている人にプロジェクトに参加してもらって、チームとしてうまくバランスをとって進めていくことを考えなければならない状況がすでにあって、その上で「必要以上に届けない、拡散させすぎない」という「どかんモデル」でコミュニケーション全体を設計していくことがますます求められていくようになるんじゃないかなと。
最後を持論に結びつけて閉めるのはなんともこっ恥ずかしいけど。

marketingis.jp

セルジオ・ジーマンの実践!広告戦略論

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すべては「売る」ために―利益を徹底追求するマーケティング

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考える人 2009年 11月号 [雑誌]

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ネイティブアドかオウンドメディアか(JIAAのガイドラインを読んで)

ネイティブアド(ネイティブ広告)についてのガイドライン一般社団法人インターネット広告推進協議会(JIAA)から発表されました。

ぼくもさっそく読んでみたんですが、まず定義のところが気になりました。
「これ以外に書きようがなかった」ことはとてもよくわかるんです。わかるんだけども、これだとステマを上品に言い換えただけと捉えられかねない。

【ネイティブ広告の定義】
デザイン、内容、フォーマットが、媒体社が編集する記事・コンテンツの形式や提供するサービスの機能と同様でそれらと一体化しており、ユーザーの情報利用体験を妨げない広告を指す。

とはいえ「見た目がいっしょ=なじんでる=ネイティブ」だからほかにいいようがないんですよね。関係者の苦労が目に浮かびます。
ざっとチェックしたかぎりでは強く反発されてる感じもなく(注目度が下がっているということはあるかもしれないけど)、いい意味で無難な発表だったと思います。

添付されていた「ネイティブ広告に関する推奨規定」もざっとチェックした感じでは、「ふつう」の印象で、ちゃんと広告表記をしようねってことが書いてありました。これ以上書けないよね。

個人的には「広告」「AD」はいいとして、「PR」は広告であることを読者に伝えるラベルになりえるのかという疑問が前々からあるんですが、そのへんの議論の経緯がもしあったなら聞いてみたいところ。

反応が薄いという点では、ほとんどブログで取り上げられてないというのがけっこう象徴的で、まあ個人ブログで取り上げるようなネタではないのかもしれませんね。

そんな中、川上慎市郎さんがcakesの記事で取り上げられてました(これも個人ブログではないけれど)。

この記事で指摘されているのは、

  • ガイドラインの3ページ目の脚注に「広告媒体の広告掲載枠に掲載される広告とは、広告枠として取引しているか否かにかかわらず、媒体社が広告主から依頼を受けて有償で掲載する広告すべてを意味する。」という文言があるので、この基準に照らせばほとんどの記事は広告になってしまう
  • 広告主企業が自ら運営するメディア(オウンドメディア)上の記事も、メディアの記事や自社のサイト同様「広告」の表記をしなくて良いことになっているので、大手広告主はこれからオウンドメディアを開設しまくるのではないか

という2点です。

最初の指摘は解釈が微妙な部分もあるし、そもそも「媒体社が広告主から依頼を受けて有償で掲載」とある部分を逆手に取れば、先に提灯記事を書いておいて、それをエサに純広告を取りにいくという場合、その提灯記事には広告表記をする必要はないわけで(もちろん現在もそうなんだけど)、けっきょくのところこれがルールではなく「ガイドライン」である以上、関係者のモラル次第だと思います。
(ただ、アゴ・アシ・マクラの問題は根深くて、これをメディア側も広告主側も双方で排除できるかというとなかなかむずかしいんじゃないかと)

大手広告主は「オウンドメディア」開設に雪崩を打つ、のか

おもしろいなと思ったのはふたつ目の指摘のほうです。
ぼくがこの資料を見たときにはまったく思いつきませんでした。こういう自分の見落としを気づかせてもらえることがブログのいいところですね。

同じ「広告主がお金を出して製作した記事」なのに、自社で運営するメディア上なら広告と表記しなくてもよくて、他のネットメディアに掲載するなら「広告」であることが分かるように表記しなければならないのです。

なるほどなあ。
それこそ運営元企業を伏せてわからないようにしたオウンドメディア――それはすでにオウンドメディアじゃないような気もするけど――ならいくらでも自社の提灯記事を「広告表示なしで」書くことができるわけですしね。
(そもそもこのオウンドメディアには子会社とか、出資先も含むんだろうか)

ただ、そうはならないとぼくは思います。
川上さんも指摘されているとおり、集客力のあるメディアをつくるのは簡単なことではないからです。そして時間もかかるので、マーケティング予算の投下先として検討はされても、じっさいに施策にゴーサインが出ることは少数だと思います。

個人的には企業ブログの頃からそういう未来をずっと期待してるんですけどね。

オウンドメディアやコンテンツマーケティングの問題は、従来からある「お金かけてキャンペーンサイトをつくったものの、まったく見られない」という問題がまったく解消されていない点で、むしろいまのブームは今後下火になっていくんじゃないかと思ってます。
(その予算がネイティブアドに流れるんじゃないかなと)

けっきょくのところ、企業がマーケティング予算を投じてコンテンツをつくる以上、それが大勢の目に触れ、彼らの心に響かないといけないわけですし、多くの場合、それは新規顧客や見込み顧客を集めるために行うわけですから、自社の公式サイトにトラフィックが集まってるからといって、そこからリンクして解決する話でもありません。

もちろん「掲載費として支払うコストを集客にまわせばいいじゃない」というのは正しい指摘ですし、そのほうが資産化していく可能性があるので考慮すべきポイントだと思います。
(といっても集客手段がそんなに多くないという問題はあります*1

オウンドメディアを自立させるにはソーシャルメディアをうまく活用しなければならなくて、だけどそのためには一定量以上のコンテンツを継続的に生産しなければなりません。ネタ切れしちゃうから。

この壁はそう簡単にこえられるものじゃないので、当面はネイティブアドを活用するのが現実的な解となるだろうし、だからこそ健全に発展していくことを願ってます。
クチコミのときと同じ展開にならないようにしてほしい。

[2015/03/24追記]
ブログに書いてる人がいた!うれしい。

[2015/03/28追記]
さらに発見。昔ほど多くはないけど、やっぱりこういう同時多発的に論が展開されるのが楽しいよね。

*1:企業サイトやオウンドメディア間でもっと積極的に送客しあえばいいんでしょうけどね

ソーシャルメディアの活動を評価する(できるのか?)

最近は「エンゲージメント(率)」の数値化は「いいね!」の数やお気に入りに登録された数、あとは返信数など、投稿に対するすべてのリアクション数を、インプレッション数やファン数、あるいは投稿数などで割ったものを指すらしい。
しばらくこのへんを追っかけてなかったんだけど、そうか、そこに落ち着いたか。
 
でもそれってただの反応率じゃね?
ペットの写真や、ランチの写真をアップして「いいね!」を押してもらったとして、それは「エンゲージメント」を達成できたと考えていいんだろうか。
エンゲージメントと大仰な言葉を拝借して、「顧客との(良好な)関係性」という質にフォーカスしたにもかかわらず、あまりに物足りない感じがぬぐえないのはぼくだけだろうか。
 
一方で、取得可能な数字をこねくりまわしてなんらかの指標を作っていかなければならないという現場の悩み(というか苦しみ)もよくわかって、やってることは正しいはずなのに、てかそれはえらい人もわかってるはずなのに、数字で説得しないと承認されないという現実問題があるわけですよね。
(こんな雑な数字で説得されちゃうのかという疑問は残るけど)
 
ということで、ぼくもひさしぶりに現場に戻ったこともあり、取得可能な数字をこねくりまわして少しでも意味のある指標がつくれないかと考えてみました。

Facebookの評価指標

まずエンゲージメント率の見直しです。
1投稿あたりのリアクションを、総リーチ数で割るようにしました。
 
エンゲージメント率(改)=(いいね!数+コメント数+シェア数) / 投稿数 / 総リーチ数
 
これは「総ファン数で割るとアルゴリズム変更で大きくぶれるから、総リーチ数で割ったほうがいいよ」とアドバイスしてもらったからで(ありがとう)、たしかにこっちのほうがフェアな評価ができる。

 

ちなみに総リーチ数は、インサイトから投稿データをエクスポートして「主要データ」の「通算 投稿の合計リーチ」を集計したものです。ざっくり、投稿を見た人(記事単位ではユニークユーザー)と解釈できます。

 
で、これだとビジネスへの貢献も測れなければ、ウケ狙いの投稿を抑制する歯止めにもならないので、自社サイトへの送客数も見るようにしました。
これはFacebookのクリックを見ずに(たぶんこれって写真のクリックとかも含んでるよね?)Google Analyticsの流入数(facebook.com / referral)の数字を見るようにしました。
 
こういうことです。
 
1投稿あたりの反応数=(いいね!数+コメント数+シェア数+送客数) / 投稿数
 
リアクション率=(いいね!数+コメント数+シェア数+送客数) / 総リーチ数

 

たまたま写真投稿をリンク投稿に変えた期間があったのですが、送客数を含めないと数字は減少していたのに(やっぱり写真の被「いいね!」率は高いですね)、含んだ数字で見るとあまり変わらず安定していました。

 
総ファン数がどの計算式にも使われてないんですけど、だからといって重要視してないわけじゃありません。総リーチ数を増やすには総リーチ数を増やすか、広告を出すか、シェアされるか、エッジランクを高めるかしかないわけですからね。
逆にいえば、総リーチ数の増加につながらないファンを増やしても意味がないってことですね。
 
けっきょくのところ、Facebookの運用を評価するには
リンククリック(サイト訪問)も含めたリアクションを増やすこと
が主目的で、それを達成するために
「1投稿あたりの反応数」を下げずに、「総リーチ数」を増やしていくこと
を意識して、そのチェックのためにエンゲージメント率を見るという感じかな。

ツイッターの評価指標

ぶっちゃけツイッターに関しては「質より量」と割りきったほうがいいのかもしれません。
なにかしら数字を見ようとしてみたのですが、なかなかむずかしいですね。
 
まずTwitterアナリティクスで「獲得インプレッション」「リンクのクリック数」「リツイート数」あたりは見るようにしています。
あとは1投稿あたりのリツイートを示す「拡散率」を割り出しています。
 
現状、ツイッターでフォロワー数を大きく増やしていくのはけっこうむずかしいので、インプレッションを増やすなら投稿数を増やしたほうが早そうです。
ただそれだとスパム化するリスクがあるので、フォロワーが減ってないかとか、ちゃんとリツイートされてるかというあたりをチェックして抑制する感じですかね。
 
いずれにしても企業がこうしたソーシャルメディアを活用する以上、多くの人に届けたいと願う気持ちは正当なもので、ただし「スパム化しないかぎり」という前提条件があるので、それを守るためのブレーキとなる数字を見るようにしなきゃいけませんね。
 
もちろん、これはあくまでもソーシャルメディアの活動を評価するという、きわめて限定的な話で、じっさいにはサイト訪問の頻度や、売上分析などをあわせて行いつつ、広い意味での(そして正確な意味での)「支持率」をちゃんと見なきゃいけないわけですが、それはまた別の話。
 
もし「うちはこんな感じで評価してるよ」ってのがあれば教えてください。

ネット上で長文を公開する際は分割するべきか(コンテンツ版入荷お知らせメール)

ネット上で長文を公開する際、それを1ページにぜんぶ載せちゃうか、あるいは複数ページに分割するかという選択がある。
とりわけパソコン通信世代や2000年代前半からネットを使ってるような人は1ページにぜんぶ入れこむことを是とする傾向があるけど、じっさいスマホで読もうとしたらそんなに長文を読めないし(デスクトップPCのモニタでもきつい)、そもそも細切れの時間にアクセスしている人たちが最後まで読んでくれるはずもないわけで、ここについては分割するしかないというのが現状。
 
次に、それを単に「次へ」のリンクで複数ページにするのか、あるいは「つづきは明日公開」として複数日にまたがった連載形式にするのかという選択がある。
ネットメディアでは前者が多い。もっとも2ページ目以降読むのにログインを必要とするパターンばかりだけど(それはそれで媒体資料づくりのためにやっているのだろう)。
後者のパターンは「ほぼ日」など少数派で、なんでこっちは人気がないんだろうね。
 
(「ほぼ日」を検索結果で見ないとか、ソーシャルメディアでもたいしてシェアされてないというのはURL体系含めたサイトの構造の問題で、公開するパッケージングの問題じゃないと思うんだけどなあ)
 
明日も読みに来てもらえる確信がない」という理由はありそう。
それはそのまま「ほぼ日」の強みでもあるんだけど。あれだけ読者の訪問が習慣化したメディアは多くないので。
 
じゃあ「記事が公開されたことを通知する仕組み」を用意すればいいんじゃないの。
商品の入荷お知らせメールと同じように、コンテンツの更新お知らせメールをつくればいい。
「この連載コンテンツおもしろいな。つづきが気になるからアップされたら教えてほしい」という方がさくっと登録できるようになっていて、(無粋な目的に使わず)ただただ次の記事が公開されたときにだけメールを送り、最終回の配信と同時に抹消する。
 
cakesはお気に入りの連載を登録することができて、新しい記事がアップされたら通知されるようになってる。これだよね。
 
メールの文面には記事にまつわる裏話なんかも書いてもいいだろうし、記事中で紹介された商品などの情報くらいなら入れてもウザくないし、むしろ喜ばれそう。
 
ともすれば「すべての記事の更新をお知らせするメルマガ」を発行して、それに登録してもらえばいいと考えがちだけど、たぶんそれじゃダメで、コンテンツが細分化された世界では、アラートも細分化して受け付ける必要があるんだと思う。
もちろん「すべてを通知する」機能を持ったメルマガがあっていいし、あるいはそれはツイッターなどの役割になるかもしれない。
 
ま、そもそも複数ページを一気に公開したほうが読んでもらえるのかもしれないんだけどさ。
ただそうだとしても週イチの1時間ドラマもあれば、毎日5分のミニ番組だって見られてるわけで、個人的には少数派側に活路を見出したいなと思ってるところ。

おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり